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《24歳で戦力外→巨人と育成契約》都立の星・鈴木優の心を支えた、宗佑磨との友情「優がいないと寂しいし、悲しい」
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byTaichi Chiba
posted2021/12/28 11:10
巨人と育成契約を結んだ鈴木優投手。オリックスの元チームメイトたちの活躍は刺激になったと語った
戦力外通告を受けた鈴木は、同じく自由契約となった吉田一将(32歳)と共に練習を再開。慕っていた先輩右腕とスマホ動画を駆使しながら、しっかりと胸を開いて弓のように体をしならせる感覚を取り戻した。「シーズン中にこれができていたら」と唇を噛んだが、暗いトンネルに光が差したかのように、その表情からは自信が窺えた。後日のトライアウトで好投した吉田の姿も背中を押した。
この日は、以前から交流があったという株式会社ネクストベースのアナリスト・森本崚太氏にピッチングの分析を依頼。菊池雄星や平良海馬など多くのプロ野球選手から信頼を寄せられる目利きは、鈴木の順調な仕上がりに舌を巻く。
「ピッチングを見るのは1年ぶり。もともと能力があることはわかっていましたが、想像よりも良かった。彼の武器であるツーシームの最大の特徴は腕を縦に振るのにシュートしながらボールを落とせること。この良さを消さないように、今日はストレートを中心にチェックしました。課題としていたリリースや回転軸も改善傾向で、この時期にしてはスピードも出ている。来季につなげてほしいです」
あくまで森本氏は「彼の仕事は綺麗なボールを投げることではなく、打者を打ち取ることですから」と言うが、助言をもらった鈴木は「数値を客観的に見るだけでなく、意見交換ができる存在は貴重。ここまでの2カ月でやってきたことに自信が持てました」と確かな手応えを得た。
米国行きを模索、YouTubeにも興味?
思いのほか、悲壮感はない。プロ野球選手としてまだまだ働き盛りである年齢だということを差し引いても、ネガティブな言動は1つも見当たらない。
実は戦力外通告を受けた後、鈴木はアメリカでのプレー機会を模索していた。周囲の協力のもと、日本でのショーケース(セレクション)を実現するために奔走したという。
「もともと海外に行きたい気持ちは強かったんです。学生時代に英語ペラペラの友人がいて、彼は大谷翔平(エンゼルス)の通訳をしていた時期もあり、今は秋山翔吾(レッズ)さんに付いて活躍している。そういう姿を近くで見ていたので、いつか英語を身につけたい、英語を喋れない人生は嫌だなと思っていて。だから、年齢的にもこのタイミングで、しかも野球でアメリカへ行けたらベストかなと思っていました。
昔から新しいことに挑戦することや考えることが好きなんです。アメリカ行きが実現したらYouTubeをやろうと思っていたので、動画編集の勉強も頑張りました。(12日に控えていた)結婚式の動画も全部、自作(笑)。僕、こう見えても、勉強は嫌いじゃないんですよ。高校時代は大学受験する予定でしたし、将来は弁護士になりたい!なんて思った時期もありましたから」
頭が真っ白になってもおかしくない状況だが、進むべき道を模索できたのは、学生時代からキャリア選択に責任を持ってきたからだろう。鈴木はこの戦力外通告を「次のステップにつながるいい機会」だと捉え、それを行動に移してきた。
「野球を続けることを第一に考えていたのは間違いないですが、もし声がかからなかったら(野球を)辞めてもいいと思っていました。大学で勉強したり、それこそ語学留学してもいいな、とか」