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壮絶事故から10カ月…タイガー・ウッズ奇跡のカムバックを支えた家族の愛と絆《勝利しか求めなかった男の変貌》
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byGetty Images
posted2021/12/21 06:00
交通事故以来、10カ月ぶりに「PNCチャンピオンシップ」で実戦復帰したタイガー・ウッズ。息子チャーリー君とのラウンドを楽しんだ
今さら言うまでもないと思うのだが、かつてウッズが目指していたのは「優勝」の二文字だけだった。そのことを如実に物語るこんな逸話がある。
PNCチャンピオンシップが「ファザー&サン・チャレンジ」という名前で創設されたのは1995年のこと。世界的なマネジメント会社IMGのエグゼクティブだったアラスター・ジョンストン氏が、シニア・プレーヤーズ選手権の会場に赴いた際、ジャック・ニクラスやレイ・フロイド、デイブ・ストックトンらが、それぞれの息子のゴルフの成績を気にかけ、せわしなく電話をしている様子を見て、親子大会を創ろうと思い立った。
出場資格が「メジャー優勝者とその親子」と規定されたことは、当時としては画期的で、その大会に出場することは、一流選手の証と見なされるようになった。
その翌年、ウッズが米ツアーにデビューし、そのまた翌年の1997年、ウッズがマスターズを2位に12打差で圧勝した。ジョンストン氏は、メジャー優勝者となったウッズに「これでキミもファザー&サンに出られるぞ」と告げたのだが、まだ若くて鼻息が荒かったウッズは「何それ?」と鼻で笑った。
ジョンストン氏はそんなウッズに「そのうち、わかるさ」と静かに告げたそうだが、父子がともに戦うことの素晴らしさにウッズが気付き、「わかった」と感じるまでには、実に二十数年の歳月が流れた。
ウッズが知った家族の愛と絆
何度も地の底から這い上がってきたウッズは、膝や腰の手術を3度、4度と重ねていくうちに、やがて自力だけで這い上がることが難しくなり、そんなとき家族の愛と絆がどれほど大きな力になってくれるのかを初めて知った。
だからウッズは、遠い昔に鼻で笑った親子大会に、昨年、ついに初出場。チャーリーくんと一緒に戦うことは、勝利だけを追い求めることより、もっと大事なのだと悟った。そして、いつかジョンストン氏が言った「そのうち、わかるさ」の意味を知った。
その経験があったからこそ、今年2月の交通事故で瀕死の重傷を負ったウッズは、今年のPNCチャンピオンシップに出ること、再びチャーリーくんと一緒に戦うことを目標に掲げることができたのだ。
勝利を目指して戦うツアーへの復帰ではなく、チャーリーくんと戦うPNCチャンピオンシップ出場に最初のゴールを設定することができたからこそ、事故からわずか10カ月のスピード復帰が実現された。
そうやって辿っていけば、PNCチャンピオンシップの前身であるファザー&サン・チャレンジが26年前に創設されていたことこそが、ウッズの今回の復帰をもたらした本当の奇跡だったのかもしれないと思う。
「今年はグッド・スタートではなかったけど、今、いい形で今年を終われそうだ」
ウッズのカムバックは、奇跡と言うより、いろいろな人々の努力と想いの積み重ねと、愛と笑顔の結晶であることを、世界が知ったのではないだろうか。