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《ライダーのお金にまつわる伝説》18歳ノリックは「お父さんと相談してから来てね」とポルシェを買えず…ロッシやマルケスの年収は?
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph byGetty Images
posted2021/12/17 06:00
96年の日本グランプリで、500cc初勝利を挙げたノリック。日本勢としては82年の片山敬済以来の快挙だった
今年、世界で戦った日本人ライダーは、MotoGPクラスの中上貴晶、Moto2クラスの小椋藍、Moto3クラスは、鈴木竜生、佐々木歩夢、鳥羽海渡、山中琉聖、國井勇輝。7人のうち、プロライダーとして「いくら稼いでいるのだろう?」と話題になるのはMotoGPクラスの中上だけだが、推測でも話は漏れてこないし、実際、話題にするほど稼いでいるとも思えない。中上が「ぼくは◯◯◯円もらっています」と言えるくらいの時代が来たらいいのにと思うが、日本人選手がグランプリに参戦するにはメーカーのサポートが不可欠なのが現状だ。
日本人ライダーで完全なプロとして活躍、億単位の収入を得たのは、90年代から2000年代にかけて活躍したノリックこと阿部典史、ヤマハで250ccチャンピオンになり、その後、アプリリアとホンダで活躍した原田哲也、ホンダで250ccチャンピオンになり、MotoGPでも活躍した加藤大治郎、ヤマハ、カワサキ、ホンダ、アプリリアで活躍した中野真矢、スーパーバイク世界選手権でヤマハとドゥカティで活躍した芳賀紀行くらいだ。
日本人ライダーでは別格の存在
その中でも18歳でグランプリにデビューしたノリックの存在は別格だった。
1993年に史上最年少の18歳で全日本ロード500ccチャンピオンに輝き、94年の日本GPにワイルドカードで出場。当時のトップライダーであるケビン・シュワンツ、ミック・ドゥーハンらを相手に優勝争いに加わり、世界を驚かせた。ノリックは結局、転倒するが、この走りが認められ、この年から、チームロバーツからヤマハのワークスライダーとしてグランプリに参戦した。このときの契約金が年間100万ドル(当時の換算で1億円)。ポッと出の18歳が1億円ということに驚いたが、ある日、「本当に1億?」と聞いたら「はい」とあっさりと答えてくれたのが思い出深い。
18歳になったノリックはクルマの免許を取り、すぐにポルシェを買いにいく。当時、流行っていただぼだぼのズボンにシャツ姿の18歳は、ポルシェ販売店の営業マンからカタログを渡され、「お父さんとよく相談してからまた来てくださいね」と追い返された。
「ポルシェって買うのが難しいです。『ショールームにあるのでいいから売ってください、支払いはキャッシュ』って伝えたら、納車まで時間かかるからって、全然相手にされなかった」
ノリックはそう言って笑っていたが、その後、商談カードに記入された“阿部典史”を調べた営業マンから、「バイク選手の阿部典史さんですか? お父さんはオートレーサーの阿部光雄さんですか?」と電話があり、ポルシェはすぐに納車された。今となっては懐かしい思い出だ。
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