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譲らなかった必勝の芯。名将・古葉竹識を悼む。

posted2021/12/12 07:01

 
譲らなかった必勝の芯。名将・古葉竹識を悼む。<Number Web> photograph by KYODO

1984年、指揮官として3度目の日本一に輝き、胴上げされる古葉監督。赤ヘル軍団を黄金時代に導いた

text by

藤島大

藤島大Dai Fujishima

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photograph by

KYODO

 立田山。熊本市の中心街からは北東の方向にある。標高152m。69年前の冬、少年は頂上で叫んだ。

「立田山から飛び立つ鳥は、鳥は鳥でも天下取り」。近隣の濟々黌高校に通う俊足堅守の野球部員、古葉毅、16歳の青春の一幕だ。

 竹識とのちに改名の男児は本当に天下を取った。広島カープ監督として1975年から'84年にかけて4度のリーグ優勝、うち3度は日本シリーズを制する。思考が深く、観察の力があり、人情を捨てることなく冷徹な采配を貫いた。

 11月12日、死去。享年85。別れに際して、畏怖に近い畏敬を集めた野球人は、'75年5月に前任者の退陣で監督昇格、初めて指揮を執るシーズンに胴上げされた。いわば約束された名将。ただし滑らかな舗装道を歩いてきたわけではない。野球部の冬期トレーニングで立田山のてっぺんに至り、友と戯れ歌をがなるまでに、急勾配の坂や石段を駆け上がらなくてはならなかったように。

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