- #1
- #2
Number ExBACK NUMBER
93年日本シリーズ第7戦、野村克也は黄色から“ピンクのパンツ”にはきかえた「ゲンを担いで少しでも不安が取り除かれるのなら…」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2021/11/27 11:00
1993年10月22日、日本シリーズ開幕前の前日練習で言葉を交わす西武の森祇晶監督とヤクルトの野村克也監督。前年から続く名将同士の“知恵比べ”はついにクライマックスを迎えた
勝負はやってみなければわからない。一勝三敗から三勝三敗まで持ち込んだ。勢いのある西武と追い詰められたヤクルト。もちろん、何度も修羅場をくぐり抜けてきた王者としての意地もある。それでも、まだまだ成長過程にあるヤクルトの潜在能力は不気味だった。はたして、シリーズ連勝記録の更新はあるのか?
森にとって二十一度目の日本一の懸かった一日が始まろうとしていた─。
野村克也は“ガチガチ”の川崎憲次郎に声をかけた
10月30日に予定されていた第六戦が雨天順延となったことで、中四日で川崎の先発登板が可能となった。第四戦での圧倒的なピッチングは、西武ナインに強烈な印象を残した。ヤクルトにとっては、もっとも頼りになる男の右腕に命運は託されていた。
「元々、第七戦は僕が投げる予定ではありませんでした。第四戦の先発を任されて無事に勝利投手になりました。これで三勝一敗です。この時点では、“もう先発はないだろう。仮に投げるとしてもリリーフだろう”と思っていました。でも、第六戦が雨天順延となったことで、僕に先発のチャンスがめぐってきました。当時、“荒木さんが投げれば負けない”という不敗神話があったので、まさか自分が指名されるとは思っていなかったです。でも、前年のシリーズ、僕はスタンドから見ていました。チーム全体としても悔しい思いをしています。“もうやるしかない”という思いになりました。ただ、自分の一球がチームみんなの努力を台無しにしてしまうこともあるわけです。緊張はピークでした。吐き気まで催してきました……」
試合直前、控室で精神集中をしていると野村がやってきた。
「どうや緊張しとるか?」
「はい、緊張しています」
短いやり取りの後に野村は言った。
「結果は気にするな。いつも通りのピッチングをすればいい……」
野村のひと言で、川崎は落ち着きを取り戻したという。
「この日はブルペンからすごく調子がよかったんです。でも、試合前は緊張がピークに達していましたが、監督の言葉のおかげで少しは落ち着くことができました」
野村の回想を聞こう。
「92年は第三戦が雨天順延で、岡林を第四戦、七戦に登板させることができた。そして93年も、雨のおかげで川崎を最終戦に登板させることができた。投手のコマ不足に悩んでいたヤクルトは、二年続けて雨に救われたんだね。これは本当に助かったよ」<後編へ続く>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。