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古田敦也&中井美穂、石井一久&木佐彩子…90年代~なぜ“女性アナとプロ野球選手”の結婚が増えた?「出会いの場が意外と少ない」

posted2021/11/22 20:00

 
古田敦也&中井美穂、石井一久&木佐彩子…90年代~なぜ“女性アナとプロ野球選手”の結婚が増えた?「出会いの場が意外と少ない」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1995年に結婚した古田敦也(当時ヤクルトスワローズ)と中井美穂

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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Sankei Shimbun

11月22日はいい夫婦の日――1990年前後から、プロ野球選手と女性アナウンサーの結婚が増えた。その背景には何があったのか? 当事者たちの証言から検証する(全2回の前編/後編へ)。

 今年の日本シリーズは、セ・パ両リーグのペナント覇者である東京ヤクルトスワローズとオリックス・バファローズの対戦となった。日本シリーズで両球団がぶつかるのはじつに26年ぶり。その1995年の日本シリーズでは、ヤクルトの正捕手だった古田敦也のリードにより同年パ・リーグの首位打者のイチローを封じ込め、日本一に大きく貢献した。古田はこの年暮れに、フジテレビのアナウンサーだった中井美穂と結婚している。イチローもまた、それから4年後、やはりTBSのアナウンサーだった福島弓子と結婚した。

 プロ野球選手と女性アナウンサーが夫婦となるケースは、1987年に中日の宇野勝が球団の本拠地・名古屋のCBCの寺嶌しのぶと結婚したのが嚆矢と思われる(選手とアナウンサーの所属先は当時、以下同)。在京キー局のアナウンサーでは、1990年にテレビ東京の赤間裕子と広島の当時の主砲・小早川毅彦が結婚したのを皮切りに(のちに離婚)、1992年のTBSの木場弘子と中日の与田剛以来、この流れに拍車がかかり、複数の夫婦が生まれる年もあるほどだ。現在までに野球選手とアナウンサーの結婚は、妻の勤務先が地方局などの場合も含めて30組以上を数える(別表参照)。

約30年前から…なぜ女性アナ&プロ野球選手の結婚が増えた?

 この背景にはまず、80年代後半に各局がスポーツニュースに女性アナウンサーをこぞって起用し始めていたことがあげられる。赤間裕子は小早川と結婚当時、『スポーツTODAY』のキャスターを務めていた。木場弘子は1987年にTBSに入社し、4カ月の研修のあと同局の女性アナウンサーでは初のスポーツニュース担当となる。与田と結婚する前年からは『筑紫哲也NEWS23』のスポーツキャスターを務めていた。

 木場と同年にフジテレビに入社した中井美穂も、2年目に『プロ野球ニュース』のキャスターに抜擢される。もともとサッカーファンを公言し、野球の基礎知識がほとんどなかった中井は、トチリや言い間違いを連発して、当初は硬派なプロ野球ファンから批判も受けたが、しだいにそのひたむきな報道姿勢が好感度につながった。のちに実況も行うようになり、現在の女性スポーツアナウンサーの先駆者として新時代を開拓したと評される(『aura』第199号、2010年2月)。『プロ野球ニュース』の女性キャスターからは中井のあとも、木佐彩子とヤクルトの石井一久、荒瀬詩織と横浜の石井琢朗と、あいついで球界のスター選手とのカップルが生まれることになる。

フジテレビの「女子アナブーム」

 木場弘子は結婚後、野球選手とアナウンサーの結婚・交際が増えた理由についてよく訊かれたという。その答えとして彼女は《確率の問題で現場にいる女性の数が比べようもないほど多くなっているのだから、職場結婚が増えても当然の成り行きでしょう》と著書で書いている(『子連れキャスター走る!』)。ちょうど彼女が入社する前年の1986年には男女雇用機会均等法が施行され、女性の雇用が拡大していたころだった。

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