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日本シリーズ第5戦と同日に『ドーハの悲劇』が…野村克也は「まったく興味なし」、一方の森祇晶がしみじみ語ったこととは?
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2021/11/25 11:03
『ドーハの悲劇』と同日の10月28日に行われた93年の日本シリーズ第5戦。森祇晶と野村克也、両指揮官はサッカーに対してどんなイメージを抱いていたのか
ここで珍しいプレーが起こる。ハウエルが打席に入ったこの場面で、潮崎はセカンドに牽制球を投じる。ショートの奈良原浩が慌ててベースカバーに入る。潮崎からの送球が高めに逸れると、奈良原は「アッ!」と大声を上げてジャンプする。
すかさず、センターの秋山幸二がバックアップに入るべく猛然とダッシュしてくる。
大観衆のどよめきが球場全体を包む。
しかし、白球はいまだ潮崎の手にあった。ピッチャー潮崎はセカンドに投げる振りをしながら、セカンドランナーの古田が飛び出すのを待っていたのだ。奈良原の動きも、秋山のアクションも、すべてがフェイクだった。結果的に古田が三塁へスタートを切らなかったために、「偽装悪送球作戦」は実を結ばなかった。
一連の動きは、すべてがキャッチャー・伊東からのサインプレーだった。シリーズ直前練習において、「シリーズ対策」として練習していた、いかにも西武らしいトリックプレーだった。
絶好の逆転のチャンスだったが、続くハウエル、池山がともに内野ゴロに倒れてチャンスは潰えた。それでも、ついに1点差まで追いついた。ヤクルトに勢いが戻ってきた。
「つくづく、野球は人間がやるものだな」
9回表西武の攻撃、野村は四番手として山田勉を指名した。
プロ八年目を迎えていたこの年、ようやくプロ初勝利を記録した山田は、主に中継ぎ投手として大事な場面を託されるまでに急成長を遂げていた。
「この年の山田はリリーフとして頑張っていました。アイツが打たれたことで先発した僕の勝ち星が消えたこともあります。でも、そのたびにメシに連れていっていろいろな話をしました。先発投手の勝ち星を消して、自分が勝利投手になる。それは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになるんです。そういう思いをしながら成績を残した。それが、この年の山田でしたね」
先輩の荒木大輔が言うように、93年の山田は47試合に登板するフル回転を見せた。
9月10日には試合前の練習で右足を痛めた伊東に代わり、急遽先発マウンドに上がり、セ・リーグタイ記録となる16個の三振を奪って勝利投手となっていた。シーズン通算では10勝5敗2セーブという好成績を記録し、このシリーズでも初戦に登板していた。
しかし、山田はその期待に応えることができなかった。
西武打線を二死まで追い詰めたものの、九番・潮崎にサードへの内野安打を打たれてピンチを広げると、一番・辻にタイムリー、さらに代打の鈴木健に満塁ホームランを打たれて一挙に5点を失い勝負は決してしまった。試合後、野村はこの継投を悔やんだ。
「山田が誤算だった。つくづく、野球は人間がやるものだなと思い知らされたよ」