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「パ・リーグの四番にあんな失礼なボールを…」野村克也がボヤいた清原和博への“失投”【伝説の1993年日本シリーズ】
posted2021/11/25 11:02
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Sankei Shimbun
三勝一敗と王手をかけて本拠地・神宮球場での一戦に臨むヤクルトスワローズ。
ここで勝利すれば、悲願の本拠地胴上げが実現する。1978(昭和53)年、広岡達朗監督時代の最初の日本一では、大学野球開催のために神宮球場が使えず、当時、読売ジャイアンツの本拠地だった後楽園球場でその瞬間を迎えた。
神宮球場での日本一の胴上げはまだ一度もない。何としてでも公称八十キログラムの野村克也が神宮の宙を舞う姿を見るべく、多くのヤクルトファンが早くから集結していた。
初戦に先発した荒木大輔が中四日で来るのか? それとも、第三戦に3イニングで降板した伊東昭光が中一日で投げるのか? あるいは、シリーズ初先発となる宮本賢治が登板するのか? 世間の意見は分かれていたが、野村克也が指名したのはプロ十二年目を迎えていた宮本だった。
ここまで宮本は、初戦、そして第二戦と、いずれも二番手として登板して西武打線に得点を許していない。戦前には「西武は下手投げに弱い」という報道もあった。リリーフエースの高津臣吾をまったく打ちあぐねている状況下では、あながちそれも間違いではないのかもしれない。満を持しての初先発だった。
一方の西武は、初戦にふがいないピッチングでKOされていた工藤公康が中四日で登場する。左足ふくらはぎを痛めていた前年と比べれば、93年ははるかに体調はよく、シーズンを通じて好調で、「胴上げだけは見たくない」の思いとともにこの日を迎えていた。
西武は“ミスターレオ”石毛宏典がスタメン復帰
宿舎となっている東京プリンスホテルから神宮球場に向かうバスへ一番に乗り込んだ。集合時間の20分前にたった一人で乗車したのも気合いの表れだった。
また、前日の第四戦では自ら欠場を申し出た石毛宏典が、この日はスタメン復帰していた。もちろん、体調が劇的に回復したわけではない。ここで負ければ「終戦」という絶体絶命のピンチだからこそ、森祇晶監督に直訴しての強行出場だった。