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家族まで大バッシング、人違いレッドカード退場事件…どん底にいた家本政明を救った言葉とは? “日本一嫌われた審判”の独占手記 

text by

家本政明

家本政明Masaaki Iemoto

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photograph byJ.LEAGUE

posted2021/11/02 11:03

家族まで大バッシング、人違いレッドカード退場事件…どん底にいた家本政明を救った言葉とは? “日本一嫌われた審判”の独占手記<Number Web> photograph by J.LEAGUE

2018年、町田MF平戸太貴へ退場を命じる家本氏

 心の回復ができないままシーズンインした2017年。無気力、無関心、無反応……この頃はサッカーに対する意欲や向上心がまったく持てず、ただ与えられた試合をこなすだけの日々でした。

「ネガティブな意識はさらなるネガティブを呼び込む」とはよく言ったもので、そんな状態の僕に、追い討ちをかけるような最悪の事態が次々と訪れました。その年の夏に妻が流産。さらにはその2日後の試合で僕は、審判人生初の「誤審」をしてしまいました。

 それはJ2第28節町田ゼルビアvs.名古屋グランパス戦(17年8月16日)での出来事でした。

 後半44分頃、僕は決定的な得点機会を反則によって阻止した町田の選手に退場を命じました。その選手は素直にフィールドから(一旦は)出ていきました。

 その直後は名古屋の選手たちからは「PKでしょ!」、町田の選手たちからは「退場なんてありえない!なんで?」と、両チームの選手からのプレッシャーに冷静に受け答えしていました。

 すると突然、「誰が退場なのかはっきりしろよ!」と言われたのです。

「え!? その選手はさっきフィールドから出ていきましたよね?」

「そんな選手はいねーよ!」
「ごまかすなよ!」
「だから誰だよ!」
「早く言えよ!」

 矢継ぎ早に言われたので、「だから、その選手はあそこに……」と、ゴール方向に目をやると、退場を命じた選手の姿は、そこにはありませんでした。

「あれ、いない……なんで? さっき確かに出ていったはずなんだけど」

  一体どうなっているのか。何が何だか分かりませんでした。

間違いだとわかっていながら……

 確かに選手が出ていくところは見た。多くの選手からプレッシャーはあったけど、それはいつものことで、特段変わったものではなかった。だけど記憶が飛んでいる。退場する選手の名前も、特徴も番号も全く記憶に残っていない。

 そんな感覚は初めての経験でした。

 助けを求めて、両副審や第4審判に聞いても「わかりません」。名古屋の選手たちに聞いても「いや、覚えてないです」。町田の選手たちに何を聞いても「知らない」「わからない」。事実が “雲隠れ” してしまったのです。

 選手たちもヒートアップし、「お前のミスを、なんで俺らが助けなきゃいけないんだ。自分で責任取れよ」といわれたので、僕は「もちろん責任は取るよ。でもその前に、試合を再開するには退場者を特定して、その選手にフィールドから出てもらわないといけない。だからなんとか協力してほしい」と懇願しました。しかし、協力は得られませんでした。

 やりとりしている中で、それが「町田18番・平戸太貴」という情報が出てきました。ただ、本人に退場を確認した印象は「あ、これは違うな」でした。

 しかし、当時の僕はここを突破口にしてなんとか早く試合を再開させたいと思い、「平戸さん、あなたの表情を見る限り、あなたは嘘もついていないし、僕もあなたではないと思っています。だから本当のことを教えてほしい。でないと、あなたが退場者になってしまう。僕はそんなことはしたくない。退場者が誰なのか教えてもらえないだろうか」と何度もお願いしました。結局、本人からも他の誰からも “本当の退場者の名前” は出てきませんでした。

 本当に苦しかったですが、僕は間違いだとわかっていながら、試合を再開するために平戸選手に退場を命じました。

今でも申し訳ない気持ちでいっぱい

 試合を再開してすぐ第4審判に、「運営担当を通じて本当は誰が退場者なのか確認して」とお願いしたところ、10秒後に平戸選手とは別の選手であるという情報をもらいました。試合終了後すぐに、町田の監督、GM、実行委員のところへ自ら向かい、状況を説明し、深くお詫びし、平戸選手に心からのお詫びを伝えてほしいとお願いしました。

 この結果、僕は2試合の割当停止処分を受けました。しかし、そんなことよりもあの時、自分のいたらなさでプレー時間を奪い、不快な思いをさせてしまった平戸選手に直接お詫びできていないことが、今でも本当に心苦しく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 これらは全て自分の技術的な未熟さ、心の弱さ、特に試合に集中できない精神状態だったにも関わらず、割当を受けた無責任さが招いた結果です。

 前回以上に「もう辞めよう」という気持ちに強くなりました。ただ、この時も人に助けられ、その人たちの支えによって、再び心の落ち着きを取り戻していきました。そしてどうせ辞めるなら、ちゃんとサッカー界に貢献してから辞めようと、固く誓いました。

【次ページ】 レフェリースタイルの再構築

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