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《巨人一筋17年で現役引退》「困ったときの亀ちゃん、で生きると決めた」亀井善行はなぜFA権を行使しなかったのか
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/10/24 11:02
今季初打席は、プロ野球史上初の開幕戦代打サヨナラ弾。亀井の一振りがチームを救った
ただ当時、ジャイアンツの内野には清原和博、小久保裕紀、二岡智宏がいた。外野にはタフィ・ローズがいて、高橋由伸がいた。乱暴な言い方をすれば、巨人軍に亀井が駆け上がっていく階段は存在しなかった。
ドラフト1位の大物ルーキーがそのまま大成するか。他球団から引っこ抜いてきた海千山千のFA戦士か。はたまた、元メジャーリーガーの助っ人か。憧れのダイヤモンドに立てるのは、そのいずれかであった。
他の球団ならば得られるだろう時間とチャンスがほとんどないのだ。事実、亀井もその波に飲み込まれていった。
「外国人選手も、FA選手も、本当に毎年毎年、どんどん入ってくるんです。そこは自分自身、なかなか難しいところで……ここでどうやって生きていこうか、どうやって光っていこうか、いつも考えていました」
清原、ローズらが去った後は韓国の英雄、イ・スンヨプがやってきた。谷佳知、小笠原道大、アレックス・ラミレス……、限られた椅子は無条件に埋まっていった。
そんな中で、わずかなチャンスをものにし続け、ようやく自分のポジションをつかんだと思ったのが初めて規定打席に到達した2009年シーズンだった。ところが翌年、2歳下の長野久義が入団してきた。他球団の指名を拒否した末に、ドラフト1位の鳴り物入りでやってきた彼は新人王を獲得すると、首位打者、最多安打とあっという間にスターへと駆け上がっていった。
原監督は打てない亀井にチャンスを与え続けた
逆行するように、亀井はプロ野球人生の危機を感じるようになった。
「プロ3年目の2007年には、やばいなと思ったことがありましたし、2010年から3年くらいはずっと打てなくて……。怪我もありましたし、自分自身、クビになるんじゃないかと覚悟していました」
ジャイアンツを形成する巨星たちのまわりで、一瞬だけパッと光って消えていく幾多の小さな星たち……そのひとつに亀井も数えられそうになっていた。
そんな時、どういうわけか、いつも自分をバッターボックスへと呼んでくれる指揮官がいた。原辰徳である。