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《巨人一筋17年で現役引退》「困ったときの亀ちゃん、で生きると決めた」亀井善行はなぜFA権を行使しなかったのか
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/10/24 11:02
今季初打席は、プロ野球史上初の開幕戦代打サヨナラ弾。亀井の一振りがチームを救った
お前はチームにとって必要な選手だ――原から言葉をもらったその日のうちに、亀井は巨人に残留することを表明した。
「あれからですかね。やっぱり自分は、困った時の亀井って思われた方が生きるんじゃないか、と気づいたんです。もちろんスタメンでずっと出たい願望はありましたけど、黒子に徹することが自分のためになるんじゃないかと」
約束など存在しない世界だ。「お前が必要だ」と言われた翌年、戦力外になったという悲劇はザラにある。
そんな現実を誰よりも知りながら、このチームの1つのピースになると決めたのは、それが原の言葉だったからだろう。
それから亀井は殿(しんがり)をつとめるようになった。刀折れ、矢尽きたときにベンチを立ち上がる。そういう存在である。4番バッター阿部慎之助が不調の時は、何度か4番を任されたこともあった。
「監督がなぜ、自分を4番にしたかですか? いや、それは、わかりません。あの時は無我夢中でしたから。巨人の4番と言えば、それはとんでもないことなんで……」
本人はいまだに首を傾げるが、長くジャイアンツの4番を打った阿部は、なぜ指揮官が亀井を指名したのか見当がつくという。
「すべての責任というか、そういうものをしっかり背負える人柄でないと務まらないですし、そうなってほしい、いや、そうであると思って、原監督は4番にしたんじゃないですか? そうだと思いますよ」
巨人に残ったことを後悔したことは?
亀井はいつしか原から、「困ったときの亀ちゃん」と呼ばれるようになった。原が3度目の監督として戻ってきた2019年には、リードオフマンも、ポイントゲッターもこなし、3つのポジションを守って5年ぶりの優勝に貢献した。指揮官を胴上げした。そして、日本シリーズでは、失意の底に沈みそうだったジャイアンツ党に希望を抱かせる2本のアーチをかけた。
「ジャイアンツ愛」。原の言葉である。弱肉強食だけが掟の、ドライな職業野球において、そうしたものが存在するのか? その疑問は、亀井を見ていると吹き飛んでしまう。ある意味で亀井は、原の言葉の体現者であるように見える。
――FA権を使わず巨人に残ったことを、わずかでも後悔したことはないですか?
亀井にそう訊くと、しばし自分の心の中を探すように思案した。そして、屈託のなさと強かさの同居した表情で言った。
「なかったです。ジャイアンツでなく、他のチームにいっていたら、もう野球人生、終わっていたと思います」
亀井善行YOSHIYUKI KAMEI
1982年7月28日、奈良県生まれ。中央大からドラフト4位で'05年に巨人入団。WBC出場の'09年はスタメンに定着し日本一に。その後は怪我に苦しむも貴重な戦力であり続け'19年には5年ぶりの優勝。オフに推定年俸1億円の大台を初突破。今季チーム最年長。178cm、82kg。