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《巨人一筋17年で現役引退》「困ったときの亀ちゃん、で生きると決めた」亀井善行はなぜFA権を行使しなかったのか
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/10/24 11:02
今季初打席は、プロ野球史上初の開幕戦代打サヨナラ弾。亀井の一振りがチームを救った
「若い僕を、打てない僕を、大事なところで使ってくれたんです。打てなくてもチャンスで代打、調子が悪くてもチャンスで代打、二軍に落ちて戻ってきたらすぐスタメンとか……、それがなければ、本当にもうクビになっていたと思います」
この巨大で過酷なサバイバルレースの中、どうやって光ればいいのか。考え続けた亀井が、ついに自分の居場所を見出したのは、フリーエージェントの権利を取得した2014年のオフのことだったという。
プロになって10年、ようやく、どの球団とも自由に交渉して、グラウンドに立てる可能性の高いチームへと移籍できる権利を手にしたのだ。その年のシーズンを戦い終えてから、権利について考え始めると眠れない夜が続いた。球団のフロントと話し合って、複数年契約の提示とともに慰留を受けた。それでも決心がつかなかった。
「正直、すごく悩みました。他のチームにいって試合に出たいという気持ちが最初は強かったんです。ただ、よく考えると、やっぱり僕はまだ、このチームに何も貢献していないなという思いがあったんです」
決断の期限が迫った11月9日のことだった。亀井は都内から川崎市多摩区のジャイアンツ球場へと愛車を駆りながら、ある決意をしていた。
「最終的に、監督に正直な気持ちを伝えてみようと思ったんです」
思い悩む亀井に響いた指揮官の言葉
赤とんぼの舞うグラウンドで、亀井は背番号88に歩み寄った。
「そうしたら、監督が、お前はチームにとってものすごく必要な選手なんだと言ってくださって……自分自身もその一言で気持ちが固まったんです」
時間にして10分ほど、肩を並べて話すうちに、亀井の脳裏にはかつての日々がよみがえっていた。自分はこのまま消えていくのかもしれない……と怖れていたあの頃、原は、勝敗を左右する打席に亀井を送り続けた。何度も何度も。
「一軍というのは育てる場所ではなく、勝たないといけない場所じゃないですか。それなのに、監督は打てなかった頃の僕を我慢して使ってくれました」
大物ルーキーでも、FA戦士でも、最強助っ人でもない。かつての巨人にはなかった、スポットライトへと通じるもう1つの階段をつくってくれたのは原だったのかもしれない。その細い蜘蛛の糸にしがみつき、チャンスを手繰って、亀井はここまできたのかもしれない。