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単独1位指名・達孝太(天理)の誕生日とファイターズの不思議な縁、編成トップの“決断の真相”とは<広報が明かすドラフト裏側> 

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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posted2021/10/21 11:06

単独1位指名・達孝太(天理)の誕生日とファイターズの不思議な縁、編成トップの“決断の真相”とは<広報が明かすドラフト裏側><Number Web> photograph by KYODO

ドラフト1位指名のあいさつを受け、撮影に応じる天理高の達孝太投手と日本ハムの大渕スカウト部長(左)、熊崎誠也スカウト

 1本の連絡から、さらに強い縁を感じることになった。会議が進んでいく中で、携帯電話にメッセージが届いた。送り主は、札幌市内の球団事務所でドラフト関連の対応を行っていた広報部のM部長である。

「達投手の誕生日、北海道日本ハムファイターズとなって最初の公式戦です」

 達投手の生年月日は、2004年3月27日。同年に誕生した北海道日本ハムファイターズの開幕戦、大阪近鉄バファローズ戦と同じ日だったのである。球場は大阪ドーム。同じ日に、同じ大阪である。大器と期待する17歳は人生を、ファイターズは球団史をスタートしていたのだ。

 余談ではあるが、M部長と私は当時、それぞれ別のスポーツ紙に籍を置いておりライバルの関係。当時ともにファイターズ担当記者で、大阪で記念すべき日を取材していたこともあり、M部長はその生年月日を見た瞬間、気付いたそうである。

木田優夫コーチからの電話

 指名翌日にも1本の電話があった。関西方面へと移動中の新幹線。発信元は、木田優夫ファーム総合コーチ兼投手コーチである。秋季教育リーグのフェニックスリーグに参戦している若手たちとともに宮崎県に滞在中。珍しく受けた連絡は「良二に、くれぐれもよろしく伝えてください。ドラフト同期で、本当にいいヤツだから」との伝言だった。

 その「良二」と呼んだ方は、天理高校の中村良二監督である。元プロ野球選手である。木田コーチは「引退してから、本当に苦労してきたんだよ」と、中村監督の半生や人柄などを熱く語り出した。いつもは朴訥と話すが、その口ぶりから高揚していることが、こちらにも伝わってきた。

 その時、また数奇な縁を感じた。北海道日本ハムファイターズの開幕戦の対戦相手は、達投手が誕生した04年限りで消滅した大阪近鉄バファローズ。中村監督は、OBだったのである。

【次ページ】 達の父とOB三木肇は元チームメイト

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