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「みんな『松坂世代』と言われることに誇りを持っている」盟友・赤田将吾が明かす松坂大輔と西武復帰後に酒を酌み交わした夜
posted2021/10/20 11:04
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
Sankei Shimbun
10月19日、メットライフドームで最後の登板を果たした“平成の怪物”の姿を、赤田将吾はベンチの後列からしっかりと目に焼き付けた。
赤田は1999年に日南学園高から西武に入団。いわゆる松坂世代の1人である。
「僕のことを知らない人に、西武にドラフト2位で入ったことを告げたあとに『そのときのドラフト1位が松坂大輔です』って言うとみんな『おおおー』って、一番簡単にわかってくれますからね。僕の現役時代を知らない人にも『オマエ、すごい選手だったんだなぁ』って自然と僕の評価も上がるんですよ(笑)」
そう語る赤田に、おそらく、どれだけ語っても語り尽くせないほどあるであろう松坂との思い出を振り返ってもらった。
「へえ、そんなヤツいるんだ……って」
いちばん最初に赤田が松坂の名前を知ったのは、高校3年生の春だった。横浜高校に150キロの速球を投げるピッチャーがいる。
「へえ、そんなヤツがいるんだ……って。僕は宮崎の田舎の高校生でしたから、関東の高校野球の情報は全く入ってこなかった。当時はインターネットもなかったですから、確か新聞か高校野球の雑誌で知ったんだと思います。だから、3年生のセンバツが近づいたころだったと記憶しています」
1年生からレギュラーとして活躍し、2年春のセンバツに出場。3年夏も甲子園に出場した赤田だったが、センバツでも、夏の甲子園大会でも横浜高校との対戦はおろか、肉眼で松坂の投球を見る機会はなかったのだという。
「初めて生でピッチングを見たのは全日本(アジアAAA野球選手権大会)のときですね。ストレートはもちろんなんですけど、変化球の曲がりがえげつなかった。特にスライダーのキレですね。当時、そんな投手がまずいなかったので、もちろん見たこともないボールばかり。『これは絶対に対戦したくないな』って思いましたね」
テレビで見た印象よりも、後ろで守った際のほうが見た球筋、球威の凄みが感じられたと語る。赤田は感心するばかりだった。