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「みんな『松坂世代』と言われることに誇りを持っている」盟友・赤田将吾が明かす松坂大輔と西武復帰後に酒を酌み交わした夜 

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市川忍

市川忍Shinobu Ichikawa

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/10/20 11:04

「みんな『松坂世代』と言われることに誇りを持っている」盟友・赤田将吾が明かす松坂大輔と西武復帰後に酒を酌み交わした夜<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

リラックスした表情で練習に励む松坂大輔と赤田将吾(2000年3月)

「最初、僕と当時まだ現役だった中田祥多(現・ブルペン捕手兼ファーム用具補佐)が部屋で飲んでいたんです。中田が『まだ松坂さんとしゃべったことがないんですよ。お話をしてみたいんですけど』と言うので『じゃあ、呼ぼうか』という話になって……。中田は『え?来てくれるんですか?』と驚いていました。やっぱり近寄りがたい印象があったんでしょうね。でも電話して呼んだら、普通に『行くわ』って、自分の焼酎を持って部屋に来てくれた。それで、部屋で野球の話、メジャー時代の話、入団したころの話もしましたかね。中田はあとから『あんな風に気さくに話してくれる人なんですか』って、すごく驚いていました」

 当時、プロ12年目、前年まで一軍出場は10試合だった中田にとって、松坂は雲の上の存在だったのだろう。赤田が「誰に対しても態度が変わらない」と松坂を指す、松坂らしいエピソードだ。そして、次の練習日から松坂のキャッチボールの相手は中田になった。

 松坂が古巣になじむことにさほど時間がかからなかったのは、橋渡し役となった赤田のおかげでもあったはずだ。

赤田「僕は本当に運がいい」

「引退のことは本人から聞きました。それまでも、リハビリ中に、ちょくちょくラインはしていて、『なんとか復活できるようがんばるよ』という言葉が送られてきていたんですけどね。相当悩んだ様子でした。引退を決断するというのは、僕もそうでしたけど、本当に勇気がいることです。僕のような普通の選手でも、決意するのに時間がかかったし、葛藤もあった。大輔ほどの選手なら、いろいろなところに与える影響も大きいだろうし、だから本人も悩んだのではないかと思いますね。でも、本人がそう決めた。それならば僕は『お疲れ様』と言うだけです」

 ずば抜けた成績と多大な影響と、ファンへの強烈な思い出を残し、ユニフォームを脱いだ同期に、最後に言葉をかけるとしたら――と尋ねると、赤田は即答した。

「僕は高卒で一緒の球団に入れたことを本当に誇りに思っています。同じチームで野球ができて、僕は本当に運がいいと思っています」

 松坂は最後の記者会見で松坂世代の選手に向けてこう語った。

「本当にいい仲間に恵まれました。自分は松坂世代と言われることがあまり好きではなかったですけど、みんながいたから先頭を走ることができました」

 お互いに刺激を与え合う存在だった。その思いは会見の時間、練習開始に備えてロッカールームにいたであろう赤田の心にも届いていたはずだ。

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