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大学通算わずか“2イニング”登板→ソフトバンク5位・大竹風雅 無欲な男は投手転向後「人が変わった」〈恩師が明かすポテンシャル〉 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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posted2021/10/20 11:03

大学通算わずか“2イニング”登板→ソフトバンク5位・大竹風雅 無欲な男は投手転向後「人が変わった」〈恩師が明かすポテンシャル〉<Number Web> photograph by KYODO

ソフトバンクからドラフト5位指名を受けた大竹風雅。大学時代の公式戦登板わずか「2回」の右腕は、プロで覚醒なるか?

「高校では野手をメインにして、ピッチャーとしては無理をさせず大事に育てよう、と」

 入学時から177センチと身長こそ恵まれていたが、体重は60キロそこそこと線が細かった。ブルペンで少し投げただけでもすぐに右ひじが張るほど、この頃の大竹には投げ切れる肉体が備わっていなかったのだ。

 渋谷が掲げた「無理をさせない」育成プランは、はっきりしていた。

 ブルペンでの投げ込みはほとんどさせず、練習試合など実戦で登板させながら少しずつピッチャー仕様の体を作らせる。その代わりフィジカルトレーニングは、ランニングやハムストリングをはじめとする太ももを強化するランジほか、下半身を徹底的に鍛えさせた。

 当時の光南は投手陣の基盤が備わっていたことも、この育成方針を実現させた。

控えめだった大竹の変貌

 同期では、2年生の左腕エースとして16年夏の福島県大会準優勝に貢献した石井諒がいた。さらに、1学年下の左腕・小椋瑠偉も早い時期から台頭していたことで、大竹はじっくりと雌伏の時を過ごせたわけだ。

 3年生の春になると、大竹はピッチャーとして計算できる存在となっていた。

 身長183センチ、体重73キロと体はワンサイズ大きくなり、ストレートの最速も143キロに。目に見える変化は、内面も強くした。ピッチャーへの興味、マウンド上で渇望を表するようになったのだ。

 この春、福島県大会で背番号「4」を付けた“二刀流”は、ピッチャーへのこだわりを示していた。

「マウンドに上がるとワクワクします。自分は真っすぐに自信を持っているんで、どんどんバッターを押していけるようなピッチングがしたい。変化球も得意のカーブを使って緩急をつけられれば、もっといいピッチングができるようになると思います」

 大竹自身が抱くようになったマウンドでの昂揚感は、監督も感じ取っていた。

 人が変わったように――渋谷のこの表現は、「ピッチャー・大竹」が産声を上げたことを証明しているようでもあった。

「普段はおとなしいのに、マウンドに上がると熱くなるというか、『こんな一面があるんだ』って、こっちが驚かされたというか。ピッチャーをやるようになって、負けず嫌いな一面を出してくれるようになりましたよね」

【次ページ】 「大竹が選んだ道は正しかった」

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