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<“平成の怪物”引退>松坂大輔と横浜・小倉部長の3年間 「言い返した覚えがあります」「ボクは褒められて伸びるタイプじゃなかったのかも」
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byAFLO
posted2021/10/18 11:01
今年現役を引退する“平成の怪物”松坂大輔。横浜高元部長・小倉清一郎は、松坂をどのように鍛え上げたのか?
「ボクは好きじゃないです」
松坂は高校時代をこう振り返った。
「特にキツかったのは『アメリカンノック』ですね。小倉先生はノックがうまくて、捕れるか捕れないかのギリギリのところに打球を上げて、走らせる。いつまでたっても終わらないので、『なんでボクだけこんなにやらなきゃいけないんですか』と文句を言ったこともあります」
小倉はそこで怒るような指導者ではない。「おまえのことが好きだからだよ」という言葉が返ってきた。
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「そんなこと言われても……うれしくないですよね。『ボクは好きじゃないです』と言い返した覚えがあります」
40年以上の高校野球指導歴を誇る小倉は、横浜の部長として、監督の渡辺元智とともに黄金時代を築いた。松坂は入学時に「バッターとしてプロに」と考えていたのだが、彼をエースに育てるために小倉が付きっきりで指導を行った。
「もう普通に投げれば打たれない」
2年生時の夏の神奈川県大会準決勝で、横浜は松坂の暴投でサヨナラ負けを喫した。
「3年生が引退して新チームになってからの群馬での夏合宿はいまでも忘れられません。小倉さんはボクのためだけにスペシャルメニューを用意していました」
そこから松坂と横浜の“無敗神話”が始まった。翌春のセンバツがかかった秋季神奈川県大会、関東大会を勝ち上がり、98年はセンバツ、夏の甲子園、国体を制した。150キロの快速球とキレのいいスライダー、どれだけ投げても衰えない球威。“平成の怪物”の名をほしいままにする快投だった。
松坂はこう言った。
「2年の夏までも頑張っていたつもりですが、それでも勝てない。だから、『自分がやらなきゃ、自分がもっと強くならなければこのチームは勝てない。甲子園には行けない』と思いながら走っていました」
松坂は秋季大会で手応えを感じたという。
「自分のボールが変わったのを感じていましたね。それまでは、ピンチになると『打たれたくない』という意識が強くなって力んでしまったんですけど、秋以降は、そういうこともなかったですね。もう普通に投げれば打たれない」
自分の投げるボールに自信を持ち始めた松坂に結果が付いてきた。ピンチでも動じない彼は「無双状態」になった。
しかし、センバツで優勝しても、小倉は指導の手を緩めることはなかった。