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「自分より、娘も、家族も限界でしたから」荒木絵里香(37)が一石を投じたキャリア選択《18年の選手生活を終えて》 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byKYODO

posted2021/10/08 11:05

「自分より、娘も、家族も限界でしたから」荒木絵里香(37)が一石を投じたキャリア選択《18年の選手生活を終えて》<Number Web> photograph by KYODO

記者の質問に丁寧に言葉を紡ぐ荒木絵里香。清々しい表情が印象的だった

 間もなくVリーグが始まる。だがそのコートに荒木はいない。

 36歳まで続いたバレーボール選手としての源は「うまくなりたい」というシンプルな欲望だった。この1、2年は自身のパフォーマンスに納得できない機会が増えたが、それでも「絶対認めない自分がいたけれど、東京五輪でやっと認めることができた」と笑う。

「(自分は)執念深くて、諦めが悪い(笑)。不器用なのは一番わかっていますし、下手なのもわかっています。だから、ここまで執念深くやれたのかな」

 数字だけを見れば、残した功績はすさまじい。日本のインドア女子バレーボール選手として木村沙織と並んで最多となる4回の五輪出場や、Vリーグで2度のMVP、通算試合出場数、セット数、ブロック決定本数はどれも歴代1位。打ち立てた記録の数々はまさに圧巻のひと言で、後続の選手たちがこの数字を更新するには、おそらく相当の年月と覚悟と気合が必要だ。

 ただ、もっと超えることが難しいであろうと確信するのは数字には残らなかった、彼女ならではのプレーや振る舞いの数々だろう。

 ブロックでタッチを取ったボールを見失い、きれいにヘディングして周囲を笑わせた。かと思えば、経験の少ない選手が荒木のブロックを怖がり、中途半端なフェイントをするやいなや「通用するもんか!」とばかりに容赦なく叩き落とした。

 全力で走り、全力で跳んでいるのにトスが来ず、「私、いる意味あります?」と涙目で訴えてきたミックスゾーンでのやり取りも忘れられないし、連敗後の記者会見で開口一番に「何で勝てないと思います?」と真顔で訴えてくることもあった。

 そんな選手は後にも先にも荒木だけ。不器用ながらも、全力投球。だからみんなから愛された。

第二の人生ではなく「第4章」

 出産したばかりの頃、「これからが自分の第3章」と語っていた。

 バレーボールを始めてから北京五輪までが第1章。イタリアへ渡ってロンドン五輪に挑んだ時間が第2章。そして母になって引退まで駆け抜けた第3章にようやく終止符を打つことができた。だから、これから始まるのは第二の人生ではなく、第4章、第5章。

 荒木絵里香はどんな人生を歩むのだろう。

 きっと、これまでのように自ら選び、切り拓き、そんな未来を穏やかに、全力投球で、執念深く歩み続けるはずだと思いを馳せる。またいつか、コートで会える日を楽しみに。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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