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「松井クンは高倉健に似とるワ(笑)」週刊誌で18歳松井秀喜のナゾグラビアまで…29年前ドラフトフィーバーはどのくらいスゴかった?
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2021/10/08 17:03
1992年のドラフト会議で4球団に指名された松井秀喜。長嶋茂雄がクジを引き当て、交渉権は巨人に。その後、松井フィーバーが起きる
「最近、プロ野球の人気が下がっていると言われていますが、非常に残念なことです。相撲、サッカーなどの他のスポーツに負けることがないように、僕らが頑張って盛り上げたいと思います」
ドラフト会議で球界にカムバックした長嶋茂雄が、自ら引き当て始まった巨人軍ゴジラ松井狂騒曲。元・阪神ファンの過去も臆することなくネタにして、自分よりはるかに年上の大物たちとの対談も飄々とこなす。その上で、プロ野球というジャンルを背負う覚悟をも口にした規格外の18歳。やはり、松井秀喜という選手は偉大である。
さて、甲子園で松井の5打席連続敬遠が騒がれた92年夏――。プロ野球のジュニア・オールスターで代打決勝アーチを放ち、MVPに選ばれた高卒ルーキーが『週刊ベースボール』92年8月3日号で、こんなコメントを残している。
「電車の中で、横にいる人がその新聞を読んでいるのを見て、なんか変な感じでした。照れくさいですね(笑)。全国版の新聞に載ったのは初めてでしたし……」
初々しい18歳のオリックス鈴木選手。そう、まだ無名だった背番号51の鈴木一朗である。のちのイチローとゴジラ松井。数年後、彼らふたりの若者が新しい時代を切り開き、平成球界を牽引する存在になっていく。
そして、92年秋から始まった長嶋茂雄と松井秀喜の師弟関係は、東京、ニューヨークと続き、ともに国民栄誉賞を受賞し、2021年夏の東京五輪で王貞治と3人で聖火ランナーを務めたのは記憶に新しい。
長い時間が経ったのだ。あの日本中の注目を集めた松井秀喜を巡るドラフト会議から、早いもので29年が経とうとしている。
なお、長嶋茂雄の自伝『野球は人生そのものだ』(日本経済新聞出版)によると、愛弟子と一緒に食事をしたミスターが「日本に帰る時は、巨人しかないだろう。サンフランシスコジャイアンツじゃなくて、東京ジャイアンツ。それしかない」と言うと、松井はノーとも何ともコメントせずに、ただニコニコ笑っているのだという。
See you baseball freak……
(前編より続く)