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今年で9度目の凱旋門賞挑戦・武豊は“3回”直前で断念していた…サクラローレルにジャパン、ではもう1回はどの馬だった?【秘話】 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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posted2021/09/30 17:02

今年で9度目の凱旋門賞挑戦・武豊は“3回”直前で断念していた…サクラローレルにジャパン、ではもう1回はどの馬だった?【秘話】<Number Web> photograph by AFLO

2007年の凱旋門賞を直前で断念し、翌年に再挑戦を果たしたメイショウサムソンと武豊

1年後に凱旋門賞に再挑戦

「当初の予定を変更すれば遠征出来ない事はなかったけど、今回は大事をとって諦めました」

 そう語ったのは、当時、同馬を管理していた高橋成忠調教師(現在は引退)だ。無念の決断だったが、遠征そのものを完全に諦めたというわけではなかった。1年後の08年、高橋成師は改めてメイショウサムソンをフランスへ連れて行ったのだ。

「アレッジドが凱旋門賞を勝った時(1977年)に現地で観戦していました。思わぬアクシデントに見舞われた昨年は残念でしたけど、サムソンをこのレースに出したいという気持ちが潰える事はなかったので、改めて挑戦します」

 8月20日、メイショウサムソンと帯同馬のファンドリコンドルが、陣営と共にフランス入り。シャンティイ、エーグル調教場に隣接するミケル・デルザングル厩舎に入厩した。

 現地での調教時には日の丸のあしらわれたゼッケンを着用した。これをデザインしたのは現在調教師となっている高橋義忠調教助手(当時)。成忠調教師の息子で、メイショウサムソンのフランス遠征にも同行していた。

「前年、インフルエンザの簡易検査で陽性反応が出た時に立ち会っていました。残念というか、悔しい気持ちでいっぱいになりました」

獣医師も帯同、万全を期した

 1年後の08年、インフルエンザ騒動はすっかり収束していたが、メイショウサムソンを乗せたカーゴには獣医師にも搭乗してもらうなど、遠征時には万全を期した。

【次ページ】 武豊「挑戦して負けた方がスッキリ」

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