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戦力外から1年… 甲子園優勝→プロでタイトル獲得の38歳が「独立Lの兼任コーチ」で投げる価値とは《近鉄最後の投手・近藤一樹》
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2021/09/26 11:30
かつて近鉄、オリックス、ヤクルトで投げた近藤一樹。今は選手兼任コーチとして独立リーグ香川に所属している
「肩に負担をかけられないので、登板間隔を空けないと投げられないと思って、志願して先発投手に転向しました」
2006年は一軍登板はなく、2007年も2試合の登板にとどまった。しかし2008年は、ローテの一角を担うと23試合に先発して10勝7敗、149回を投げ防御率3.44、金子千尋、小松聖、山本省吾と2けたカルテットを形成。チームのCS進出に貢献した。近藤は当時をこう振り返る。
「救援投手時代と投球スタイルは変わらなかったんです。150km/hの速球は1試合で何球かしか投げない。でも、チェンジアップで緩急をつけて打者を抑えていく。やわらかい投球だけども打者を攻めている。僕自身は“しなやかパワー系”だと思っていました。
先発に転向してから、投手というものは試合を支配し、マネジメントするものだと思っていました。だからどういう風に抑えるかプランを考えて投げなければいけない。なかなか若さだけではうまくいかないと思っていました」
故障に悩まされ、育成契約とトレードを経験
チームの援護が乏しかったために、その後は勝ち星には恵まれなかった。それでも近藤は先発ローテーションを維持し、粘りのピッチングを見せた。だが次第に、故障に悩まされるようになる。
2011年オフには右ひじ遊離軟骨の除去手術。翌2012年は右肩痛を発症し、オフには再びひじの手術を受けた。まともに投げられないシーズンが続き、2014年オフには育成契約となる。
2015年に再び支配下に復帰してローテの谷間で投げたが、2016年にシーズン中に八木亮祐とのトレードでヤクルトに移籍した。
その時点で、まさに満身創痍だった。
17年目で74試合登板、最優秀中継ぎの初タイトル
「ヤクルトのコーチからは『1イニングで勝負できるか?』と言われました。当時の僕は、“中継ぎで毎日投げるなんでできるはずがない”と暗示をかけていた。でも、現役を続行するためには救援に転向するしかない。だから、その暗示を自分で解除しました。実際、やってみれば投げることができた。だから僕はこれまで自分の体を過保護にしていたんだなと気が付きました。
以前は“投手はこうあるべきだ”という風に考えていましたが、トレードされてから、“もっと雑でよかったんだな”と思うようになったんです。それまでは“ハードに投げると痛くなる”と思っていましたが、実際にやってみたら、全然体なんて痛くならない。それに気が付いてから1回限定で全力で投げるという投球スタイルが身についたんですね」
近藤はセットアッパーとして息を吹き返した。