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戦力外から1年… 甲子園優勝→プロでタイトル獲得の38歳が「独立Lの兼任コーチ」で投げる価値とは《近鉄最後の投手・近藤一樹》
posted2021/09/26 11:30
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kou Hiroo
8月15日、ヤクルトの坂口智隆が1500試合出場を達成した。坂口は今年から「近鉄バファローズ最後の現役選手」である。その近鉄が球団史最後のパ・リーグ制覇を成し遂げたのは2001年9月26日で、ちょうど20年になる。
昨年までのヤクルトには坂口とともに近鉄出身の近藤一樹が在籍していた。近藤は元巨人の岩隈久志と共に「近鉄最後の投手」でもある。今年、独立リーグ香川オリーブガイナーズで、選手兼任コーチとして新たなキャリアをスタートさせた近藤一樹に話を聞いた。
夏の甲子園優勝投手から3年で近鉄消滅
香川県・丸亀市民球場のバックネット裏の一室に入ってきた近藤は生気にあふれていた。口調もてきぱきして早く、プロで19年もやってきたベテランという印象はない。
近藤は日大三高時代の2001年、夏の甲子園で優勝投手になっている。この年のドラフトで、パ・リーグ王者となった近鉄から7巡目に指名され入団した。
「近鉄の頃は、右も左もわからない子供みたいなものでした。他の選手との年の差も感じたし、育成してもらった感じでしたね。ただ、その頃から、どうやって“近藤のカラー”を打ち出していくかを考えてもいました。髪形を変えたりもしましたし、プロで生きていくために、いろいろ考えていました」
2002年は二軍でプレーし、2003年に一軍初昇格。2シーズンで12試合1勝0敗19.2回、防御率0.92、被安打。与四球こそ多かったが、ほぼ失点にまで至らなかった。
そして3年目の2004年のシーズン中に、近鉄とオリックスの合併を起点とする球界再編が起こった。
「すごい事件が起こったなと思いましたが、まだ21歳でしたし、何が起こっているのかよくわかりませんでした。合併についても、僕らは何も知らされていませんでした。そのうちに“分配ドラフトでプロテクトされた1人になって、オリックスに移籍することになったよ”と聞かされました」
右肩を壊してからの先発転向で2けた勝利
ここまで近藤は救援投手だったが、オリックス2年目のシーズンに右肩を壊して転機を迎えた。