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「あなたを殺させるわけにはいかない」ミャンマー代表GK《難民認定》までの壮絶な経緯と支援者、J3クラブの厚い友情とは
posted2021/09/18 17:01
text by
木村元彦Yukihiko Kimura
photograph by
Kentaro Takahashi
8月20日。待ち受けた報道陣に見守られながら、大阪出入国在留管理局(以下、入管)に入っていくピエリアンアウンの表情は決して晴れやかとは言えなかった。
6月22日に提出していた難民認定申請が、異例の早さでこの日に認められるということは、すでに知らされており、本来であれば、日本における法的地位の安定に、喜びが全身を支配してもおかしくはない。しかし、その喜悦よりもはるかに大きかったのは、祖国で苦渋を強いられるミャンマー市民に対する憂慮であった。
「私のやったことなど、本当にちっぽけなこと。祖国で命をかけて戦っている人たちに比べれば、大したことではない……」
認定が下される日が近づくにつれ、周囲の支援者やメディアの関係者には、そんな言葉を漏らすようになっていた。2月1日に軍事クーデターを起こしたミャンマー国軍は、これに抗議する人々をまるで虫けらを殺すように殺害し続け、すでに8月下旬の時点で1000人を超える犠牲者を出していた。
帰国後に逮捕・拷問されることを覚悟していたが
5月に行われたW杯アジア2次予選にミャンマー代表として来日していたピエリアンアウンは、試合前の国歌斉唱の中、チームでただ一人、軍事政権の支配に抗議する3本指のポーズを示した。
国軍評議会は、ミャンマー代表チームを国際舞台に出場させることで「かように我々はスポーツ界からも支持を受けている」と、クーデター政権の正当化に利用しようとした。しかし当該の国際映像が世界中に流れたことで、思惑を外されて激怒したと言われる。
「ミャンマーサッカー協会が軍政との距離を取らないのなら、自分で示すしかなかった。愛するサッカーを人殺しの独裁政権に汚して欲しくなかった」
ピエリアンアウンの抗議行動は、一部の的外れな批判にある「スポーツに政治を持ち込んだ」のではなく、その逆の「スポーツを政治から守った」行為であった。この勇気は計り知れない数のミャンマー人たちに希望を与えたが、本人はその代償として帰国後に逮捕・拷問されることも覚悟していた。
しかし、日本の支援者たちがそれを止めた。