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なぜ「看護師」がボクシングを? 津端ありさ28歳が“夜勤明けの練習”にも耐えて日本選手権優勝→東京五輪を目指したワケ〈開会式に登場〉
posted2021/09/17 17:01
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Shino Seki
ひとりの女性ボクサーが、東京オリンピック開会式の晴れ舞台に立った。看護師として日夜働きながら、アスリートとして東京五輪を目指した津端ありさ。ボクシングに興味のなかった彼女が日本選手権で優勝するまでの軌跡と知られざる本音とは――。〈全2回の1回目/#2はこちら〉
左目の周囲が、紫色に腫れていた。
「3日前にパンチが入って。ぜんぜん消えないですね」
練習中のことだという。ボクサー津端ありさは苦笑のような笑顔を見せた。
東京五輪の開会式でランニングマシンに乗って
東京五輪はある意味、津端から始まった。
7月23日、開会式の開始は午後8時。花火が打ち上げられ、四季の移ろいがプロジェクションマッピングで描かれる中、グラウンドにあったのは、ウェアからシューズに至るまで白にまとめられた装いでランニングマシンに乗り黙々と走るアスリートの姿。それが津端だった。
1人トレーニングに励む姿は孤独を思わせる。だが、津端だけでなく、トレーニングする選手が次々に現れる。葛藤を抱えているのは1人ではないこと、離れていてもつながっていることを表現として試みていた。コロナによる影響が世界中に広がる中、スポーツも無縁ではいられなかった今だからこその演出であった。そして津端が選ばれた理由も、その波にさらされたアスリートであった点にあっただろう。
「ダイエット目的」で始めたボクシング
この3年の間に、津端の人生は大きく変わった。しばしばメディアにも取り上げられた。津端はボクサーであるとともに看護師でもあったからだ。
「もともとは大学に進んで、バスケットボールがしたいと思っていました」
そう語るように、看護師という職を意識してはいなかった。考えが一変したのは、父のアドバイスだった。
「バスケットボールではご飯を食べていけないから看護師になったらどうだ」