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なぜ「看護師」がボクシングを? 津端ありさ28歳が“夜勤明けの練習”にも耐えて日本選手権優勝→東京五輪を目指したワケ〈開会式に登場〉 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byShino Seki

posted2021/09/17 17:01

なぜ「看護師」がボクシングを? 津端ありさ28歳が“夜勤明けの練習”にも耐えて日本選手権優勝→東京五輪を目指したワケ〈開会式に登場〉<Number Web> photograph by Shino Seki

看護師として勤務しながら東京五輪を目指したボクサーの津端ありさ。グローブには「Arisa」の文字が刻まれている。

「一生こんな機会はないだろう」

 優勝がうれしかった。でもその意味は理解していなかった。

「大会のあと、日本ボクシング連盟の方から電話がありました。『ミドル級の代表に選ばれたので合宿に参加してください』。びっくりしました」

 日本代表選考会を兼ねていたことを知らなかったのである。

「これは大変なことになったぞ、と思いました。でもせっかくのチャンス、一生こんな機会はないだろうと思いました」

 看護師の職と掛け持ちしながら、オリンピックを目指すことになった。

「今思うと、ハードな日々だったと思います。夜勤のときは病院に入る前に練習して夜勤をして、仮眠してから夜、練習に行ったり。日勤のときは、定時はありましたが患者さんの容態が急変したり緊急入院があったり、どうしても終わるのが遅れてしまいます。仕事が遅くなっても、そこから練習したりしていました」

 2020年を迎え、カザフスタンで実施した日本代表合宿にも参加。

「心が折れそうになるくらい海外の選手は体が強かったです。パンチも強いし、連日鼻血を出すような感じでした。『こんなに殴られるために来たんじゃない』と思ったり、何度もしんどいと思いました」

 それでも心は折れなかった。

看護師を続けながら五輪を目指す途中で…

「2週間、病院から休みをもらって参加していました。病院で2週間も休めることはないのですが、看護師長さんや病棟のスタッフに『行ってきなよ』と背中を押してもらっていたし、自分のいない分を働いてもらったり夜勤をかわってもらったり、みんなに応えたい気持ちがありました。しかもたくさんのボクシングの子たちが目指している中、自分はこういう経緯で代表になった。だから努力しなければいけないという思いもありました」

 2020年3月、自身の五輪出場を懸けてアジア・オセアニア大陸予選に出場する。でも勝負は甘くなかった。韓国の選手に敗れ、獲得はならなかった。

 これが五輪出場への最後の機会ではなく、5月に最終予選が予定されていた。だが、その舞台は延期となった。新型コロナウイルス感染拡大の影響による。それはオリンピックを目指し、そして看護師でもある津端にも影響を及ぼした。

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