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往復ビンタ10発以上「きつい振りすんな!」竹田高剣道部主将“死亡事件”から12年…遺族が明かす“暴力指導の壮絶さ”
text by
中小路徹Nakakoji Toru
photograph by家族提供
posted2021/09/15 11:04
大分県立竹田高で起きた剣道部主将熱中症死亡事故。今夏、十三回忌を迎えた両親はこれまで、司法の場で指導者の責任を問い続けてきた
顧問は熱中症への認識が極めて低いだけでなく、この期に及んで、甚だしく暴力的だった。
顧問は剣太さんを立たせ、「演技やろうが!」と突き飛ばした。剣太さんはあらぬ方向に歩き出して壁にぶつかり、「あーっ」と叫んで崩れ落ちるように座り込み、仰向けに倒れた。顧問は馬乗りになり、怒鳴りながら10発程度の往復ビンタをした。
「目を開けろ! 俺は熱中症の人間を何人も見ている! そういうのは熱中症じゃねえ! 演技じゃろうが!」
壁にぶつかった時に額に負った傷の血が、飛び散る勢いだった。
剣太さんは何も反応しなくなった。目を見開き、白目をむいていた。部員たちが水分を取らせようとするが、すべて吐いた。
しごきが始まって1時間半後に「じゃあ行くか」
顧問が意識のない剣太さんに「じゃあ行くか」と言って、救急車を要請したのは、午後0時19分ごろである。約1時間半にわたり、しごきが繰り広げられていたことになる。自らも足にけいれんを起こし、歩くことがままならなかった弟が剣道場の温度を確認すると、36度だった。
顧問から連絡を受けた父の英士さんが病院に駆けつけると、剣太さんは荒い呼吸で目をカッと見開いていた。「うおー!」とうなりながら起き上がろうとするのを、英士さんは懸命に押さえた。母の奈美さんも病院についたが、夕方、剣太さんは亡くなった。体温は42度もあった。熱中症を悪化させた熱射病だった。
通夜の席で、弟から状況を聞いていた奈美さんは、剣太さんを殴り続けたことについて、顧問を問い詰めたが、顧問は「気付けのためにやりました」という言い訳を繰り返したという。顧問の横暴を止めるべき立場にいた副顧問も「止めきれませんでした」と答えるだけだった。4日後に学校が開いた保護者会では、学校側からは謝罪も詳細な経緯報告もなく、他の生徒の心のケアについての相談体制の話に終始していた。
4カ月後、大分県教委から、顧問は停職6カ月、副顧問は停職2カ月の処分が下った。しかし、県教委の対応は両親には誠意が感じられなかった。連絡は二人が問い合わせをした時のみに応対するだけ。顧問・副顧問の処分決定に至る説明もなされなかった。
ここから、両親の長い長い戦いが始まった。
裁判は遺族にとって「最後の手段」である
翌2010年、顧問・副顧問らに対する損害賠償請求訴訟を大分地裁に起こした。同時に、その教諭2人を業務上過失致死と重過失致死の容疑で大分県警に刑事告訴した。