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3歳で全盲も「カズを“見る”のは大好きだった」ブラジルのブラインドサッカー初代10番が語る《相手の“聴覚すら奪う”浮き球パス》の極意とは
posted2021/09/04 11:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Getty Images
パラリンピックの2004年アテネ大会でブラインドサッカーが正式競技となって以来、2016年リオ大会まで、ブラジルは4連覇中だ。のみならず、1試合も敗れていない。ノックアウトステージにおけるPK戦勝利を引き分けとみなしても、東京大会準決勝までの通算成績は22勝6分無敗。絶対王者とみなしていいだろう。
ブラジルにおけるこの競技の草分けの1人が、マリオ・セルジオ・フォンテスである。南部パラナ州の港町パラナグア出身の64歳。生い立ち、選手としての経歴、その後の指導者としての活動などについて話を聞き、ブラジルのブラインドサッカーの強さの秘密を探った。
晴眼者の子供たちと一緒にボールを蹴っていた
――生い立ちとボールを蹴るようになった経緯を教えてください。
マリオ・セルジオ(以下、MS):晴眼者として生まれたが、3歳のときにラジコン飛行機が落ちてきて、私の両目に当たった。以来、全盲となった。
両親は大きなショックを受けたようだが、私自身はそうでもなかった。そもそも目が見えた記憶がなかったし、しばらくは生活に支障を感じなかったからね。
4歳のとき、パラナ州の州都クリチーバへ引っ越したが、普通に外へ出て近所の子と遊んだし、自転車にも乗った。フットボールが大好きで、地元のコリチーバの大ファン。晴眼者の子供たちと一緒に、ストリートや広場でボールを蹴っていた。
――他の子供たちから「目が見えない奴と一緒にプレーするのは嫌だ」などとは言われなかったのですか?
MS:そんなことは一度もなかったな。いつも私を仲間に入れてくれた。彼らは、一生の友人だ。私はボール扱いに長けていて、周囲の状況を察知する能力を磨いたので、他の子とほとんど遜色なくプレーできていたと思う。
――コリチーバは、1989年にカズ(三浦知良。現横浜FC)が在籍したクラブですね。彼のことを知っていますか?