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《追悼》19歳の見習い記者に「一緒にプレーしていいですか?」ゲルト・ミュラーの“記憶と記録に残る”ゴール感覚と謙虚な人柄

posted2021/08/24 17:04

 
《追悼》19歳の見習い記者に「一緒にプレーしていいですか?」ゲルト・ミュラーの“記憶と記録に残る”ゴール感覚と謙虚な人柄<Number Web> photograph by Getty Images

75年の生涯に幕を下ろしたゲルト・ミュラー。数々の記録を作ったストライカーは、謙虚な人柄でも多くの人に愛された

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中野吉之伴

中野吉之伴Kichinosuke Nakano

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 またひとり、サッカー界のレジェンドがこの世から去った。2021年8月15日、元西ドイツ代表FWゲルト・ミュラーが75歳で、その生涯に幕を閉じた。

ドイツサッカー史だけでなく、世界のサッカー史においても最高峰の選手のひとりだ。数々の記憶と記録に残る名プレーを見せてくれた。1964年から79年まで、バイエルンで公式戦607試合に出場して566得点をマーク。ブンデスリーガ通算427試合365得点という数字は驚異的なものがある。

太ももはウエストくらいのサイズがあった

 西ドイツ代表のエースストライカーとしても君臨し、72年欧州選手権でも74年ワールドカップでもチームを優勝へと導いた。特に、母国開催だった74年ワールドカップ決勝オランダ戦での決勝ゴールは、今でも語り草だ。ゴールに背を向けながらペナルティエリア内で受けたボールを、人とは思えない俊敏性で反応してゴールへ突き刺した。

 いかに素晴らしい選手だったのか。当時の同僚や対戦相手は、誰もがミュラーのことを称賛している。まさに規格外の選手だった。

 70年代バイエルン黄金時代のチームメイト、GKゼップ・マイアーは言う。

「彼の太ももは、まるでウエストくらいのサイズがあった。ゲルトは野ウサギが急に方向転換するような動きを見せるし、踏み込みなしでもすごいシュートを打てる。GKとしては動きがまったく読めなかった」

 元オーストリア代表DFノルベルト・ホーフは「ミュラーは、ペナルティエリアの外では羊だが、ペナルティエリアの中では解き放たれたオオカミのようだ」と舌を巻いていた。

 元西ドイツ代表FWで、元バイエルン代表取締役カールハインツ・ルンメニゲはゴールを決めるための研ぎ澄まされた感覚は常人離れしていたと回顧する。

「ペナルティエリアはゲルトの世界だった。一歩前、一歩後ろ、そうやって少しずつ動きながら数センチの空間を作る。彼には、それで十分だった。彼の持つリアクション能力はこの世界の誰よりも優れている。そしてフランツ・ベッケンバウアーとのワンツーパスは、それこそミリ単位で正確だった」

【次ページ】 19歳の記者見習いにも謙虚な対応

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