セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
破産3回のベネツィアが19年ぶりにセリエA復帰 苦難のシーズンの予兆も“大物会長”は残留決定で運河へのダイブを公約
posted2021/08/18 11:02
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Getty Images
水の都ベネツィアのホームスタジアム「ピエルルイジ・ペンツォ」を初めて見たときは、さすがにたまげた。
グラウンドが水路の向こうにある。「バポレット」と呼ばれる水上ボートに乗って辿り着いたスタジアムの先には、海原とヨットハーバーしかない。随分古びているのも当然で、建設されたのは108年前。大正2年だという。
チームを率いるのはリーグ最年少38歳のザネッティ
ベネツィアが19年ぶりにセリエAに帰ってくる。
率いるは38歳、リーグ最年少監督のパオロ・ザネッティだ。
「一番若いことは自覚しているけれど臆することはない。目標はもちろんセリエA残留だが、昨季やってきたように攻める気持ちで1年を戦いたい」
現役時代はトリノやエンポリでプレーしたMFだった。
2014年に引退して下位カテゴリーでコーチ修業し、3部クラブで監督デビューしたのが2017年。そして昨季、ベネツィアに招かれると就任1年目で昇格プレーオフ決勝へ。相手は同じベネト州のチッタデッラだった。
アウェイでの初戦を1-0で制したベネツィアは、ホーム「ペンツォ」で迎えた第2戦でよもやの苦戦を強いられた。
26分に痛恨の失点を喫すると、10分後にはDFパスクワーレ・マッゾッキが2度目の警告を受けて数的不利に。防戦一方の展開となったが、93分、生粋のベネツィアっ子であるFWリッカルド・ボカロンが値千金の同点ゴールを決め、2001-02シーズン以来の夢舞台復帰を現実のものにしたのだった。
1999-2000シーズンは名波浩が在籍
読者のなかには、黒地にオレンジと緑のユニフォームを着たMF名波浩(現・松本山雅FC監督)がセリエAでプレーした1999-2000シーズンを覚えている方も多いのではないか。
だが、その後ベネツィアが歩んだ苦難の道を知る者はイタリア国内でも限られている。世界有数の国際観光都市でありながら、ベネツィアのサッカーは忘れられた。
あれから19年の間に、ベネツィアは3度破産している。