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ギリギリの膝で五輪を戦い抜いた清水邦広…“同学年の戦友”福澤達哉が「(五輪出場は)オレじゃなくて清水でよかった」と伝えた理由〈バレー〉 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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posted2021/08/16 11:03

ギリギリの膝で五輪を戦い抜いた清水邦広…“同学年の戦友”福澤達哉が「(五輪出場は)オレじゃなくて清水でよかった」と伝えた理由〈バレー〉<Number Web> photograph by Noriko Yonemushi

14日に行われた福澤達哉の引退試合で笑顔を浮かべる清水邦広。日本男子バレーの一時代を支えた2人の友情は厚い

 北京後は2人が代表の中心選手となり、「一緒に肩を組み、足を揃えてやってきた」と福澤は言う。だが世界の壁に跳ね返され、勝てない時代が続いた。北京で果たせなかった"五輪での1勝"を追い求めたが、12年ロンドン五輪、16年リオデジャネイロ五輪は出場すらかなわなかった。

“東京五輪で「現地集合」”が合言葉に

 リオ五輪後は、清水が右膝の大怪我でリハビリ生活を余儀なくされたり、福澤がフランスのパリ・バレーに移籍するなど、離れた場所で戦っていたため、“東京五輪で「現地集合」”が合言葉になった。言い出しっぺの福澤は言う。

「お互い、怪我があったり、新しい選手が出てきて、以前とは立ち位置も当然変わった。隣の心配をしてる暇はない。だから自分ができることを一つ一つやって、最終目的地として2人がそこ(東京五輪)で集合できたらいいね、という思いでした」

 しかし東京五輪にたどり着いたのは清水1人だった。福澤もネーションズリーグまでメンバー入りをかけて戦ったが、大会中に落選を告げられた。

 福澤はその足で清水を自分の部屋に誘い、メンバーから外れることを伝えた。落選する選手だけが1人ずつ監督に呼ばれたため、呼ばれなかった清水は、福澤の落選と、自身のメンバー入りを同時に知った。

「マジか……」と言ったきり、清水は言葉が出てこなかった。

「僕としては、自分が選ばれたことに対してうれしいという気持ちはそこまでなくて。やっぱり福澤と一緒に行きたかったという思いがありました。福澤の思いも、今までやってきた過程も知っていたので、声をかけることができなくて、無言の時間が続きました」

清水が驚いた、福澤のひと言

 長い沈黙のあと、絞り出すように「一緒にやりたかったな」とつぶやいた。

 その時、福澤はこう言った。

「最低でも2人のうちどちらか1人が選ばれてよかった。それが、オレじゃなくて清水でよかった」

 自分が落選を告げられた直後に、どうしてそんなことが言えるのかと清水は驚愕した。

「何度も怪我や挫折を味わってきたのを福澤は隣で見ていたから、『最後にこうやって大きなチャンスをつかめたのが、オレじゃなくて清水でよかった』って。なっかなか言えないですよね、そんなこと。そこは本当に、福澤の器の大きさ、人間性というのをすごく感じました。自分が逆の立場だったら、そんなこと言えるのかな? と考えたけど、とてもそんな言葉は出てこない。やっぱり福澤ってすごいなと思いました。面と向かっては言ってないんですけど、福澤のため、福澤の思いを乗せて頑張ろうと思いました」

【次ページ】 引退試合、涙声で福澤を送り出した

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