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ギリギリの膝で五輪を戦い抜いた清水邦広…“同学年の戦友”福澤達哉が「(五輪出場は)オレじゃなくて清水でよかった」と伝えた理由〈バレー〉
posted2021/08/16 11:03
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Noriko Yonemushi
東京五輪で、29年ぶりに進出した準々決勝を戦い終えた男子バレーボール日本代表の選手たちは、とめどなくあふれる涙を、ユニフォームやタオルで拭った。
清水邦広は1人、笑顔だった。
石川祐希、西田有志……仲間たちが次々にハグを求めてくる。清水の目も潤んだが、最後まで笑顔はなくさなかった。
代表は東京五輪が最後。「笑って終わろう」と決めていたし、自然と笑えた。
「1つの目標としていた予選突破をクリアできましたし、最後、準々決勝で負けてしまいましたけど、本当に頼もしい後輩たちの姿を見られた。僕としては、悔しいという思いより、やりきったという思いのほうが強かった。いろんな経験をして、なかなか勝てない時期もありましたけど、最後、笑って終われたので、僕にとってはすごく満足でした」
みんなが落ち込んでいるように見えたから、コートで最後に輪になった時、清水はこう話した。
「今まで何十年もできなかったことを、この12人がやり遂げたんだから、胸張って終わろうよ。この経験が、さらにみんなを強くする。本当に頼もしい選手ばかりなので、これからはオレはテレビで応援してるな」
五輪閉幕3日後、限界だった右膝を手術
東京五輪閉幕の3日後、清水は右膝の手術を行った。膝はもう限界ギリギリの状態だった。
清水は2018年2月、右膝の前十字靭帯断裂、内側側副靭帯断裂、半月板損傷、軟骨損傷という選手生命を脅かす大怪我を負ったが、約1年をかけて復帰し、代表にも再招集された。その後も何度かクリーニング手術を行いながら、入念なケアを重ねてプレーを続けていた。しかし今年5~6月にイタリアで開催されたネーションズリーグ中に痛みが強くなった。長時間の移動も影響し、イタリアから帰国した時には足を引きずる状態だった。しかも帰国後の隔離期間中は病院で治療をすることができず悪化してしまった。