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北島康介の「またやらないの?」で再点火 飛込のレジェンド寺内健40歳の6度目の五輪、最後の演技に送られた万雷の拍手
posted2021/08/08 17:01
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Asami Enomoto/JMPA
その拍手がすべてだった。
8月3日、男子板飛込決勝。
最後の6回目。ダイブを終えた寺内健を待ち受けていたのは、スタンディングオベーションだった。
「感動しかありません」
寺内は語る。
決勝に進んだのは12名。その平均年齢は26.5歳。その中で寺内は40歳と、ひとり飛び抜けての最年長だった。
オリンピックに初めて出場したのは1996年のアトランタ大会。15歳だった。以来、ロンドン五輪を除き出場を果たし、東京五輪は6回目の出場であった。
7月28日、最初の種目のシンクロ板飛込決勝では、12歳下の坂井丞とともに出場し5位入賞を果たした。
迎えた2種目、ひとりで挑む板飛込では予選10位、準決勝7位で勝ちあがり、決勝に進む。
その決勝では、3回目が失敗に終わった時点で上位に食い込むのは難しくなった。最終的に12位にとどまったが、それでも6回目に自身では最高得点となる74.40点をマークし、試合を締めくくった。
6回目の五輪を戦い終えて
「何もさせてもらえなかったです」
悔しさを見せる一方で、拍手がうれしかった。
「長く挑戦してきて、よかったです。悔しさ以上に、ここでパフォーマンスさせてもらえて、幸せな気持ちです」
最初に出場したオリンピックから25年を数える。寺内よりもあとに競技を始めて、すでに退いた選手も少なくない。その中で第一線に立ち続けた。
寺内が主戦場としてきた3m板飛込は、飛び出しから着水まで約1.6秒とパフォーマンスは一瞬だ。だが、選手たちの鍛え上げられた身体を見れば分かるように、そのわずかな時間のために費やしたトレーニングは生半可なものではない。飛込を始めた10歳から数えれば、30年もの間、競技に打ち込んできた。トレーニングに打ち込む日々の長さ、何よりも長時間にわたる競技生活を過ごす精神力……。その重み、価値を知るからこその、各国の選手やコーチからのスタンディングオベーションだった。