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北島康介の「またやらないの?」で再点火 飛込のレジェンド寺内健40歳の6度目の五輪、最後の演技に送られた万雷の拍手
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2021/08/08 17:01
8月3日、平均年齢26.5歳の男子板飛込の決勝の舞台に立った寺内。最後の演技で自己最高となる74.40点を記録した
2000年シドニー五輪高飛込で5位、2001年世界選手権板飛込で日本初のメダル(3位)を獲得するなどエースとして活躍。しかし、一度は引退を決断した。2008年北京五輪を終え、もうやり尽くしたと思った。
そして、スポーツ用品メーカーに就職し、働いていると、転機となる出会いがあった。
業務として出向いた競泳の日本選手権。会場で、偶然出会った北島康介にこう声をかけられた。
「またやらないの?」
年齢的には2つ下の水泳界の仲間は、現役として、オリンピックを目指していた。
その言葉に、思わず心が揺れる自分がいた。やがてまだやり尽くしていなかったことに気づいた。
1年を超える長いブランクを乗り越えられるのか、会社への迷惑は……それでも一度火がつけば止まらなかった。復帰することを決意した。
現役復帰を支えたモチベーション
ロンドン五輪の代表入りはならなかったが、リオで5度目の代表に選出された。いったん競技を離れてから、三十代半ばにして代表の位置に戻ってきた。
迎えたリオでは、屋外プールであったため、強風に悩まされ、不完全なダイブを強いられた。日本チームの抗議も受け入れられず、20位にとどまり、予選敗退で終えることになった。
それが次へ、というモチベーションとなった。
重ねる年齢の中で自分自身と向き合い、どこで勝負するかも考えた。ただ難易度の高い技を組み入れた構成を追うのではなく、完成度を高めることに、上位進出の活路を求めた。
そして迎えた東京五輪では、アテネの板飛込で8位になって以来の入賞をシンクロで果たし、板飛込では北京以来13年ぶりの決勝に進んだ。
「もちろんメダルは獲りたかったです」
だけど、それに勝る思いがあった。
「長く続けてきて、よかったです」
6回目の最後の演技を終え、長く続く拍手のあと、駆け寄る各国の選手や関係者の姿があった。
飛込の世界のレジェンドに対する惜しみない尊敬が、その光景にあらわれていた。