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北京五輪銀の塚原直貴が“教え子”のデーデー・ブルーノへ「もっとアピールしていい」「アンカーが向いている」

posted2021/08/04 17:01

 
北京五輪銀の塚原直貴が“教え子”のデーデー・ブルーノへ「もっとアピールしていい」「アンカーが向いている」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

東京五輪のリレーメンバーとして日本代表の練習に参加したデーデー・ブルーノ

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及川彩子

及川彩子Ayako Oikawa

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JIJI PRESS

 北京五輪の歓喜のメダルから13年。陸上男子4x100mリレーで1走を務めた塚原直貴は、今年4月から母校の東海大学陸上部のコーチングスタッフとして名を連ねる。そして今大会には日本選手権の短距離2種目で快走した、同大学の4年生デーデー・ブルーノが4x100mリレーのメンバーとして代表入りを果たした。

 塚原が日本代表になったのはデーデーと同じ21歳だった。2006年ドーハアジア大会、翌2007年は大阪世界陸上、そして北京五輪という大舞台を立て続けに経験し、「代表になって学んだことはとても多かったです」と振り返る。

 大舞台に臨む後輩に、塚原はどんな言葉をかけるのだろう。

初めて日本代表に選ばれた日

 初めて日本代表に選ばれたドーハアジア大会の時のことを塚原は、今でも鮮明に覚えている。

「(大学の先輩)末続慎吾さんを始め、代表メンバーと一緒に遠征して、本当に勉強になりました。100mと200mの違いももちろんですが、100mへの注目度の高さを知り、気が引き締まったのを覚えています。初代表でしたが、選ばれたからには強い気持ちで戦おうと思って臨みました。結果2位で金がとれず悔しかったですね」

 4x100mリレーでは1走を任され、銀メダルに貢献した。

「高野進先生(東海大学陸上競技部短距離監督・トレーナー監督)には『代表に選ばれたときに違和感がないようにするために東海大学ではアンダーハンドを採用している』と言われていました。だから東海大で頑張れば日本代表のシニアでもやれるんだ、というワクワクした気持ちでいっぱいで、代表に選ばれた時は『これまでの力を発揮するチャンスだ』とうれしかったのを覚えています。

【次ページ】 「五輪は大きな冒険のようでワクワクした」

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