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《男子ゴルフ》松山英樹、“特別な場所”でメダル届かず「ゴルフはメジャーが4つあって、恵まれているのかな」
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byShizuka Minami
posted2021/08/02 06:00
銅メダルを懸けた7名によるプレーオフで敗れた松山英樹。体調が万全ではない中で、最後まで戦い抜いた
「悔しいです」
体調が万全ではなかった中で、最後の最後まで諦めず、金がダメなら銀、銀がダメなら銅を目指す戦いを披露したが、「結果がすべてなんで……メダルが獲れなかった以上は……」と唇を噛み締めた。
日本メディアの前に立って質問に応えたときは、すでに気持ちを切り返る作業に取り掛かっていた。
五輪を目指して日々邁進している他競技の選手たちは4年に1度しか晴れ舞台が無いが、「ゴルフはメジャーが4つあって、恵まれているのかな」。
そうやって、自身の気持ちを五輪モードから通常モードへ切り替え、すでに昨晩には米ツアーが用意するチャーター便で世界選手権のフェデックス・セント・ジュード招待の舞台、テネシー州メンフィスへ向かった。
マスターズは「松山の日」だったが
金メダルを獲得したシャウフェレとは、今年4月のマスターズで3日目も最終日も同組で回り、松山が優勝、シャウフェレは悔し涙を飲んだ。
そのシャウフェレとメダルを競い合ったこの五輪は、五輪という特別な戦いの場ではあったが、「今度こそはオレの番」「今日こそはオレの日」を実感するための戦いであることに変わりはない。
マスターズは「松山の日」だった。
五輪は「僕の日だった」とシャウフェレは言った。
シャウフェレの父親は五輪出場を夢見ていたが、交通事故で夢は絶たれ、父が果たせなかった夢を息子が引き継いでいた。そして、日本は台湾生まれの母が育った国であり、祖父母が今も暮らしている国だ。
「何よりも、ここで勝ちたかった」
勝利の女神は、マスターズでは松山のグリーンジャケットへの熱く深い想いを叶え、五輪では、シャウフェレの熱く深い想いを叶えたのではないか。
祭りの後の余韻の中で、物語のそんな締め括りを考えた。