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「めちゃくちゃ出たかった」21歳稲見萌寧が喜び爆発、急成長で掴んだ東京五輪…“モネ”と名付けられた理由は?
posted2021/07/02 11:01
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph by
Atsushi Tomura/Getty Images
心底うれしかったのだろう。
国内女子ゴルフツアー「資生堂レディスオープン」(7月1〜4日 ※初日は雨天中止)を前に、中継局インタビューを受ける稲見萌寧の表情からは、ニコニコの笑顔が止まらなかった。
「めちゃくちゃ嬉しいです。東京オリンピックはめちゃくちゃ出たかった試合ではありました。だからこそ目の前の試合に集中するために、自分を装ってでも『意識していない』と言い聞かせていました。実はみなさんを騙してましたみたいな(笑)。裏ではめちゃくちゃ出たい気持ちを抑えていました。そこがもうすっきり晴れて本音を言えてよかったなって感じです(笑)」
6月28日付(日本時間29日付)の世界ランキングを基にしたオリンピックランキングで、畑岡奈紗に次いで日本人2番手に入った稲見が東京五輪代表に決まった。
古江彩佳や渋野日向子との代表争いが佳境に入ったときも、「気にしていません」と常に気丈にふるまっていたが、本音はそうでなかった。
「自分のゴルフ人生だけでは収まらないくらい、めちゃくちゃ記憶に残る名誉なことのひとつだと思っています。夢の舞台。誰でも出られる試合ではない夢の舞台です」
これまでテレビでしか見たことがなかった五輪の舞台に自分が立つことができる喜びをここぞとばかりに爆発させていた。
“谷間の世代”と言われた1999年生まれ
東京五輪のゴルフ競技で日本代表の座を射止めるほどの実力を持った選手なのに、なぜか“稲見萌寧”の名前をあまり聞いたことがない人も多いかもしれない。
1998年度生まれの渋野日向子ら“黄金世代”、2000年度生まれの古江彩佳ら“プラチナ(ミレニアム)世代”、2001年度生まれの笹生優花ら“新世紀世代”の活躍が目立ちすぎている部分もあるが、稲見は7月で22歳を迎える1999年度生まれ。この世代は“狭間”、“谷間”と呼ばれることが多く、世代として取り上げられる機会が少なかった。
つまり、1999年度生まれの選手の中で、五輪代表に内定した稲見の成績が突出したわけだ。19年にツアー初優勝し、コロナ禍の影響でシーズン統合となった今季は20年の1勝、21年の5勝で通算6勝。賞金ランキングは2位。初の賞金女王のタイトル獲得も夢ではなくなった。
しかし、たった2年前までは試合に出ることすらままならない苦労人で、ほぼ無名の選手だった。
では、なぜこれほどまで“勝てるゴルファー”になったのか。