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登山靴で蹴り、“精神棒”で腹をえぐる…56年前の「農大ワンゲル部死のシゴキ事件」はなぜ起きてしまったのか
text by
中小路徹Nakakoji Toru
photograph byJIJI PRESS
posted2021/06/30 17:01
東京農大ワンダーフォーゲル部のしごき事件で現場検証する係官たち
ところが、人権擁護局のコメントのように、心身を鍛え上げる指導という名のもと、暴力の正当化や、年上の権威主義といったゆがみも、スポーツ界で生じてしまった。先輩や指導者の言うことを従順に聞き、理不尽なことにも耐えられる、その我慢強さが社会で生きる。そうした美徳が、状況を悪化させた。その象徴的な出来事が、死のシゴキ事件だったのだ。
56年前の事件に隔世の感を思うかもしれない。こんなひどいことは今は起こるはずがない、と。
確かに、「根性」という言葉はスポーツ現場ではあまり聞かれなくなった。だが、根性主義の悪弊は今もスポーツ界にへばりついて洗われていない。
“鍛えるという名の暴力”は形を変えて続いている
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大阪・桜宮高の男子バスケットボール部のキャプテンが、顧問の暴力などを理由に自死したのが、わずか9年前の2012年末である。顧問は「気合を入れるため」などの理由で、常習的にたたいていた。
これを機に、ようやく暴力根絶への本格的な取り組みは始まった。しかし、今度は「殴る蹴る」といった有形の暴力に代わり、暴言や威圧という「変異型」の暴力が台頭した格好となった。そうした指導を受け、2018年には岩手県で、そして今年は沖縄県で、部活動に所属する高校生が自死を選ぶ悲劇が起きたことは、5月31日配信の「『おまえの代わりなんていっぱいいる』顧問の暴言罵倒が子供を死なす…現代の体罰は“殴る・蹴る”だけじゃない」でリポートした通りだ。鍛えるという名の暴力的な行為は連綿と続いているのだ。
もう一つ、死のシゴキ事件の背景として、スポーツを通じてこそ養える主体性や言葉が、放棄された結果と言えないだろうか。
根性主義と関連した形で当時から指摘されていたのが、黙って従うのが運動部員、スポーツ選手の良いところ、という評価の仕方だ。その評価の在り方は、根源的には今も残っていると思う。
「物申せぬ風潮」に染め抜かれたスポーツ界
子ども時代から上下関係に縛られ、威圧的に怒鳴る大人の指示に従うことを是とさせられる。そんな状況が、物申せぬ風潮でスポーツ界を染め抜き、選手が自分の意思を表明することすら、難しくさせる。
それは、新型コロナウイルス禍で揺れてきた今回の東京オリンピックで、スポーツ界からの発信が少なかったことに、結果として表れているように感じる。