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元讃岐の守護神で元FC東京広報、家木大輔はなぜポルシェに転職した? 恩師・北野誠監督の言葉と、石川直宏がつないだ縁
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byYoshiaki Matsumoto
posted2021/06/29 17:00
現役を引退後はJクラブの裏方として活躍してきたが、サッカーとは違う畑での挑戦を選んだ家木大輔さん
地方のJ2クラブから、首都のJ1クラブへ。カルチャーショックは、ありませんでしたか?
「讃岐と東京では、やろうとすること自体は大きく変わりません。ただ、クラブの規模が違う分、やれることの広さ、深さは違います。ひとつのことに対して、多くの人が関わって掘り下げられるという部分は東京の良さです。広報として、2019年に久保建英選手がNumberさんの表紙になったときは、嬉しかったなぁ。本人やスタッフ、編集部のみなさんと綿密に打ち合わせをして、彼が頭の中で考えていることを文字にして、初めてメディアを通して発信できましたから」
3年目からは広報とプロモーション部を兼務(4年目からはプロモーション部専任)、FC東京の魅力をいかに多くの人に伝えるかを考え続けた。
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「2019年7月、ホームでの多摩川クラシコは忘れられないですね。当時は首位・FC東京、3位・川崎フロンターレという状況で。クラブ全体として、なんとかスタジアムに4万人を集めようと考えていました。しかも、FC東京のファン・サポーターで味の素スタジアムを埋めたい。そのために、選手たちやJリーグさんにも協力してもらって、谷口彰悟選手と森重真人選手、永井謙佑選手の対談を企画したり、あらゆるプロモーションの手段を考えました。その結果、4万2401人が来場してくれた。試合には敗れましたけど、あのスタンドの光景や選手たちが嬉しそうな顔をしているのを見て、この仕事をやっていて良かったなと思いましたね」
ナオさんに相談「会ってみれば?」
FC東京に転職して、5年が経過した。4月で35歳。自称「マグロ」のチャレンジャー精神に、再び火がついた。
「子供のころから車が好きで、ミニカーでばっかり遊んでいたんです。運転も好きで、大学の頃は自分で車やバイクをいじって。だから、道を走っている車の車種は全部言えます。自分の年齢や家族のことを考え、新たなチャレンジを考えていました。“どんな業種がいいかな”と考えていたときに、ナオさん(石川直宏)に相談したんです。ナオさんは車好きで、よく車談義もしていました。そうしたら、『ポルシェに信頼できる人がいるから、会ってみれば』と。この縁で、今の仕事に就きました」