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小林亜星が中日に贈った“幻の応援歌”はなぜ忘れ去られたのか 「獅子」の名曲だけではなかった球界とのつながり 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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posted2021/06/16 06:00

小林亜星が中日に贈った“幻の応援歌”はなぜ忘れ去られたのか 「獅子」の名曲だけではなかった球界とのつながり<Number Web> photograph by Kyodo News

小林亜星の応援歌が響いていた1999年、星野仙一監督率いる中日は11年ぶりにリーグ優勝を遂げた

球界とのつながりは獅子の名曲だけではない

 あまりにも有名な獅子の名曲だけでなく、実は竜(中日ドラゴンズ)とも縁があった。「嵐の英雄(ヒーロー)」を作ったのが亜星さん。これは1996年の球団創立60周年を記念して、球団や中日新聞社が詩を公募。れっきとした公式応援歌である。下は10歳から上は88歳まで、全国から1620もの詩が集まり、最優秀作品に選ばれたのが井丸糺(ただす)さんの「嵐の英雄」だった。

 審査委員長のなかにし礼が補作し、亜星さんが作曲。ちなみに井丸さんは北九州市在住で、本職は会社員。当時の取材には律儀に「ダイエーファンです」と答えている。冒頭の歌詞にある夜明けの明るさを意味する「朝ぼらけ」という言葉の意味を、恥ずかしながら筆者はこの歌を聞いて初めて知った記憶がある。

「燃えよドラゴンズ!」の再登板で消えていった

 翌97年はナゴヤドームのオープンが決まっていた。3月18日の初試合(オリックスとのオープン戦)で「嵐の英雄」もファンにお披露目された。試合開始前、ラッキーセブン、そして勝利の後にライブビジョンで流されていた。つまり、99年に星野仙一監督が率いて優勝したシーズンも、この公式応援歌は選手の背中を押していたのだ。

 しかし、残念ながら定着はしなかった。ラジオ番組からスタートし、シーズンごとにオーダーが変わるのに合わせ、歌詞も変わることから球団は公認していなかったが、ファンからは絶大なる支持を得ていた「燃えよドラゴンズ!」という絶対王者が君臨していたからだ。ファンからの強い声に抗しきれず、2002年からは「燃えよドラゴンズ!」が再登板。わずか5年で実質的な応援歌の座を明け渡し、本拠地で流れないのだから「嵐の英雄」は自然と記憶から消えていった。

【次ページ】 「幻の応援歌」はどんな存在だったのだろう

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