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記録に残る大名人・大山康晴vs記憶に残る新手一生・升田幸三… 戦争から生き残った昭和二大棋士の“意外と知らない逸話”って? 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byKyodo News

posted2021/06/13 17:00

記録に残る大名人・大山康晴vs記憶に残る新手一生・升田幸三… 戦争から生き残った昭和二大棋士の“意外と知らない逸話”って?<Number Web> photograph by Kyodo News

1966年、第25期将棋名人戦、升田幸三九段と大山康晴名人の対局

 写真1は、囲碁の団体戦に将棋連盟チーム(5人)が参加した光景。右から、升田、大山。両者が並んだ姿は、さすがに迫力がある。

 写真2は、早く終局した升田が、大山の戦いぶりを見守っていた光景。大阪の木見道場での内弟子時代に戻ったような雰囲気である。

 写真3は、都内ホテルで開催された大山の「100回優勝記念」祝賀会の光景。大山(中央)の隣は、昌子夫人。

 写真4は、都内デパートで開催された将棋イベントの席上対局で、升田が客席に座って大盤を見て解説した光景。大棋士を目の前にした左隣の少年たちは、うれしそうな表情を見せている。

夫人同士が会ってしみじみと語り合ったこと

 1991年4月5日。升田は73歳で死去した。

 その1カ月前、升田は名人戦で対局したことがある東京・広尾「羽沢ガーデン」を訪れた。かつての弟子の桐山清澄九段(少年時代に升田家に半年ほど住み込んだ)の対局を控室で観戦し、折を見てそっと帰った。

 1992年7月26日。大山は69歳で死去した。

 大山は1991年にガンが再発して手術を受けたが、驚異的な回復力で公式戦に復帰した。ある新聞は「ガンも投了」という見出しを掲げた。しかし、実際には完治していなかった。医者は大山に静養を勧め、散歩と昼寝を日課にするように説得した。大山は自分の意思で活発に行動したが、体調が再び悪化した。死ぬまでA級棋士として生涯現役を貫いた。

 升田と大山の死後、夫人同士が会う機会があった。生前は両家の交流はほとんどなかった。大山夫人は升田の悪口、升田夫人は大山の悪口を、自分の夫から聞かされたこともあったようだ。しかし、その場ではしみじみと語り合い、ともに2人の故人を偲んだという。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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大山康晴
升田幸三

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