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記録に残る大名人・大山康晴vs記憶に残る新手一生・升田幸三… 戦争から生き残った昭和二大棋士の“意外と知らない逸話”って?
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKyodo News
posted2021/06/13 17:00
1966年、第25期将棋名人戦、升田幸三九段と大山康晴名人の対局
「新手一生」を標榜した革新的な将棋は、多くのファンを魅了した。1956年に名人時代の大山に「香落ち」(升田が香を落とすハンディ戦)で勝ったのは、前代未聞の事態となった。
記録係として見たそれぞれの意外な一面とは
私は棋士養成機関の「奨励会」に在籍した頃、大山、升田の対局で記録係を何回か務めた。両者はともに風格が漂っていたが、意外な一面もあった。
大山は対局中に入室者があると、顔を上げて誰なのか確認した。知らない人だと気になるようで、後で関係者に尋ねた。扇子に付いた紐をゆらゆら動かすのが癖で、それを読みのリズムにしていた。何かの歌をふと口ずさむこともあった。
升田は対局中によく雑談した。特に下ネタが好きで、周囲を笑わせていた。しかし、鋭い眼光はいつも盤上に注がれていた。相手の手番でも読んでいて、持ち時間をあまり使わなかった。体調は決して万全ではなかったので、意識的に早く指していた。ただ精神は意気軒昂で、「病体」であっても「病気」ではないと言い張った。
スケジューリングも対照的だった
私は若手棋士の頃、公式戦の日程を決める「手合係」を務めていた。その関係で大山、升田と連絡をいつも取り合った。
大山は対局日程が過密なうえに、講演などの仕事で全国を巡っていた。その都合に合わせて対局日を決めた。大山は仕事の日程をすべて自分で管理していた。他人任せが嫌いな性分だった。
升田は対局などの仕事は、秘書役の静尾夫人にすべて任せていた。私が夫人との打ち合わせで自宅を訪れたとき、升田は好きな囲碁を打ったり、梅入りのお湯割り焼酎をちびちび飲んでいた。
圧倒的なオーラを放つ2人の写真の数々
私は1970年代の半ば、写真に熱中していた。何点か紹介する。