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福永祐一のダービー制覇は「最悪の枠」から始まった かすれた声で語った19度目の挑戦「香港もドバイも勝ってきて、一番特別でした」 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2021/05/31 19:00

福永祐一のダービー制覇は「最悪の枠」から始まった かすれた声で語った19度目の挑戦「香港もドバイも勝ってきて、一番特別でした」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

福永祐一のダービー制覇は多くの人にとって「やっと」だった。本人はどう感じているのだろうか

「父が一番勝ちたかったレースはダービーでした」

 父の福永洋一氏は、デビュー3年目の1970年から9年連続リーディングジョッキーとなるも、30歳だった'79年、落馬事故のため引退。ダービーを勝てぬまま鞭を置いた。

「父が一番勝ちたかったレースはダービーでした。志半ばで騎手生命を絶たれた父の代わりは誰にもできないのかもしれませんが、父と、師匠の北橋修二先生の夢をぼくが叶えたことは、喜んでくれると思います。

 どう報告するかは、顔を見てから決めます。ぼくは、父の名前でこの世界に入ってきました。今日は、福永洋一の息子として誇れる仕事ができたと思います」

 19度目でのダービー制覇は、父と同期の柴田政人調教師に並ぶ、初勝利までの最多騎乗記録だ。1998年の初騎乗から、'99年(落馬負傷)と2002年以外は、すべての年でダービーの騎乗馬を得てきた。

 なお、ノーザンファーム生産馬は2015年のドゥラメンテから4年連続での勝利。同一クラシック4連覇は史上初の快挙だ。平成に行われた30回のダービーで10勝目(1996年フサイチコンコルドを含む)となった。

 レース後、ワグネリアンは、東京競馬場から福島のノーザンファーム天栄に直行した。

 友道調教師は「まだまだこれから成長する馬です。夏場は休養させて、様子を見ながら今後の予定を決めていきます」と語った。

 高く、険しい山に登り詰めた人馬の今後が楽しみだ。

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