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福永祐一のダービー制覇は「最悪の枠」から始まった かすれた声で語った19度目の挑戦「香港もドバイも勝ってきて、一番特別でした」
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKiichi Matsumoto
posted2021/05/31 19:00
福永祐一のダービー制覇は多くの人にとって「やっと」だった。本人はどう感じているのだろうか
「ほかの馬を見ないように、見ると負けると思って(笑)」
ゲートからある程度出して行って、内に入れるなり、前に馬を置いて、好位で折り合いをつける――というのが、友道調教師と相談して決めたレースプランだった。
そのとおりの乗り方で、好位の外目につけたまま4コーナーを回った。
「内のブラストワンピースがものすごい手応えだった。あれだけ手応えがいいと押し出してこられるので、その隙を与えないよう、細心の注意を払ってコーナーを回りました」
ライバルの力を封じながら、自身はスムーズにコーナーを回り、直線で加速した。
しかし、前にいるエポカドーロとコズミックフォースをなかなかつかまえられない。
「最後のほうは、ほかの馬を見ないようにしました。見ると負けると思って(笑)。デビュー戦より無我夢中になりました」
逃げ粘るエポカドーロをかわしたのは、ゴールまで4、5完歩のところだった。
勝ちタイムは2分23秒6。第8レースの青嵐賞(4歳以上1000万円下)の勝ちタイムが2分22秒9という高速馬場だったが、エポカドーロの戸崎圭太が1000m通過60秒8(青嵐賞は59秒6)という絶妙のペースで逃げたがゆえに、この時計になった。
そのエポカドーロを管理する藤原英昭調教師は「ワグネリアンは人馬ともに強かった。称賛するしかない」と福永の騎乗を讃えた。
福永祐一の初ダービーは14着の大敗
天才・福永洋一の息子として早くから注目されていた福永祐一は、1996年3月2日、初騎乗から2連勝という華々しいデビューを飾った。その年53勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を獲得する。
デビュー2年目にキングヘイローで東京スポーツ杯3歳ステークス(表記は旧馬齢)でJRA重賞初勝利をマークした。
翌1998年、そのキングヘイローで初めてダービーに参戦。2番人気に支持されるも、折り合いを欠いて14着に大敗する。
その後、2007年にアサクサキングス、2013年にエピファネイアで2着になっていたが、どうしても栄冠に手が届かなかった。