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「中3の久保建英は別格でした」クロアチアで半年8得点、FW原大智22歳が振り返る原点“タケフサとの2トップ時代”
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byGetty Images
posted2021/05/23 17:00
2月にFC東京からクロアチア1部NKイストラに移籍した原大智(中央)。リーグ2得点、カップ戦6得点と結果を残した
久保はFIFAのルールによってスペインでプレーを続けられなくなり、2015年にFC東京U-15むさしに入団。翌年、中3でFC東京U-18に飛び級すると、いきなりAチームに配属された。
原が高2でBチームにいるとき、久保は中3でAに入ったのである。
「タケフサは僕の2個下なのに、すぐにAチームのレギュラーになってバリバリ点を取っていた。そしてクラブユース選手権やJユースカップで優勝した。違いを見せつけられましたね。でも同時に、いつか一緒にプレーしたいと思ったんです。それが新たなモチベーションになった」
原は高3でついにAチームの一員になり、久保と同じピッチに立つチャンスを得た。
「そのときすでにタケフサはFC東京U-23の方でJ3にも出ていたんですが、ユースのプレミアリーグなどで少しずつ一緒にピッチに立つ機会が増えていった。結構、タケフサと2トップを一緒に組みました。まだ当時は自信がなかったので、『足を引っ張らないようにしなきゃ』と思ってやっていました」
「頭ではなく、体でタケフサのマネをする」
バルサ帰りの少年が、FC東京のユースに与えた影響はとてつもなく大きかったという。
「タケフサの存在によって、間違いなく基準が上がった。人間、無意識にマネする生き物じゃないですか。そういう特別な選手が1人いると、みんなその動きを見て影響を受ける。
たとえばポゼッションの練習で、ものすごく判断が速い。頭で考えたらマネできないんで、とにかく体でマネするように意識していました」
FC東京U-18はクラブユースサッカー選手権で優勝し、原は6得点をあげて得点王に輝いた。そしてFC東京へのトップ昇格を勝ち取った。
原は目の前にいる“タケフサ”を介して、世界トップとの距離をリアルに測れた。山頂までの道のりは遠く、複雑で険しいが、道がつながっていることを感じられた。だが、人と同じことをやっていたら途中で滑落してしまうだろう。
筋トレは動きが重くなってしまった
原は父親譲りの「研究思考」を生かし、ストライカーに何が必要かを分析し始める。
「父親は大学院で薬学の博士号も取り、今は病院で働いている。その影響もあるのか、僕も子供のときからいろいろ研究するのが好きでした。
プロになったら『体』に興味を持ち、初動負荷理論に挑戦した。筋トレにも力を入れ、肉体改造をしようとした。なかなかうまくいかず試行錯誤し、プロ3年目にたどり着いたのが『ゆるトレ』でした」