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「中3の久保建英は別格でした」クロアチアで半年8得点、FW原大智22歳が振り返る原点“タケフサとの2トップ時代”
posted2021/05/23 17:00
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
Getty Images
ここ数カ月、クロアチアで急速に評価を上げている22歳の日本人ストライカーがいる。今年2月、FC東京からクロアチア1部のNKイストラへ移籍した原大智だ。
リーグで2得点、カップ戦で6得点――。191cmの長身を生かして前線でターゲットマンになるだけでなく、しなやかな身のこなしで得点を量産している。カップ戦の決勝では、ディナモ・ザグレブ相手に2ゴールを決めた(試合は3対6で敗れて準優勝)。
2019年のU-20W杯に出場しており、将来の日本代表候補である。とはいえ、まだまだ日本では知る人ぞ知る存在だろう。その原の最新インタビューをお届けする(全2回の1回目/#2に続く)。
FC東京下部組織では“落ちこぼれ”だった
原は遅咲きのFWだ。FC東京のユースからトップ昇格したものの、プロ3年目まではJ3が主戦場だった。18歳まで年代別代表とも無縁だった。
そもそもFC東京の下部組織では、長い間 “落ちこぼれ”の一人にすぎなかった。
「父親が放任主義で、何をしろと言われたことはなく、末っ子ですし好きなものを買ってもらえた。よく言えば自由、悪く言えば甘やかされて育ったので、泥臭さはないんですよね。
小学校のときは楽しくサッカーができていたんですが、ジュニアユース(FC東京U-15むさし)では試合に出られず、なかなかやる気が出なかった。モチベーションが上がらず、自分を磨くような努力をできませんでした」
FC東京の下部組織はJリーグの中でも名門中の名門だ。そんな気持ちの選手が輝けるはずがない。ユースに上がると、さらに厳しい現実が突きつけられる。
「ユースはAチームとBチームの2つに分かれていて、だいたい高2になったらAチームに上がれるんですよ。でも、僕は高2になってもBのままだった。これは悔しかった。僕と同じように高2でAに行けなかった同期の1人は、クラブを辞めてしまった。僕自身、『高卒でプロになるのは無理だな』と諦めていました」
“2学年下”のタケフサがやってきた
だが、ときに挫折は覚醒のスイッチになる。Bチームという屈辱によって現状を変えたいという気持ちが芽生え、そして幸運にも、強烈な刺激を与えてくれる少年がバルセロナからやってきた。
バルセロナの下部組織で10番をつけていた久保建英だ。