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27年前「最後の完全試合」まで槙原寛己は“悪役”だった…「オハヨ~ナガシマで~す!」あの投球を生んだミスターの直電
posted2021/05/18 11:01
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
平成31年間のプロ野球界でたったひとりだけ、完全試合達成者がいる。
巨人の槙原寛己である。1994年(平成6年)5月18日広島戦(福岡ドーム)、午後8時14分、広島27人目の打者・御船英之の打球は一塁側ファウルグラウンドに上がり、落合博満が構えたミットにおさまった。その普段は常に余裕を感じさせるオレ流落合らしからぬ懸命な打球の追い方と、三塁を守る長嶋一茂の捕手・村田真一より先にマウンド上の槙原に抱きつく、宝くじで3億円当たったかのようなあまりのハイテンションぶりに、テレビの前の野球ファンも記録の偉大さを実感したものだ。
打者27人に対し102球、奪三振7、内野ゴロ11、内野フライ6(うち捕邪飛1、一邪飛2)、外野フライ3の投球内容で史上15人目の完全試合を達成。前半は速球で押し、中盤以降はフォークやスライダーを低めに決めゴロの山を築いた。78年阪急・今井雄太郎以来16年ぶりの偉業で、それ以降もいまだ達成者はいない。なお、ドーム球場唯一の完全試合でもある。
普段の東京ドームより広い福岡ドームで気持ちにゆとりができ、さらにカープ打線は主軸の前田智徳と江藤智を故障で欠いていた追い風もあった。当時、「ワシと江藤さんのいないカープから完全試合して嬉しいかって、槙原さんに言うといてください」なんてナイフみたいに尖ったコメントを残したサムライ前田が、いまや温厚なスイーツ大好きおじさんへと変貌。あれから、長い時間が経ったのである。
94年シーズンに創立60周年を迎えた巨人は、5月18日が球団通算7000試合目のメモリアルゲームでもあった。槙原本人が度々語る「門限を破り、1カ月の外出禁止を言い渡され、18日に好投したらそれが解かれる自由への戦いだった」というエピソードは有名だし、巨人ファンならG+の名場面集ヘビーローテーションで幾度となくこの試合を目撃しているだろう(2000年優勝決定試合、二岡智宏のサヨナラアーチ場面とともに)。
槙原は中日移籍が大本命だった
だが、過去とは美化された嘘である。人の記憶は曖昧なものだ。どうしても時間の経過とともに細部は都合よく自己修正されてしまう。ゲーム後、背番号17が長嶋監督と抱き合ったヒーローの姿は鮮明に覚えていても、そこにいたるまでのストーリーや背景は忘れがちだ。大記録から27年が経った今、93年秋から94年春にかけてのスポーツ新聞や雑誌を読み返すと、意外な事実に気が付く。
あの頃、槙原寛己は確かに“悪役”だった――。