日本サッカー未解明問題ファイル「キリスト教と神のこと」BACK NUMBER
内田篤人や酒井高徳、パク・チソンも味わった「欧州と日本のサッカーと思想の違い」… “神との距離感”や上下関係を考える
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byTamon Matsuzono/Shigeki Yamamoto
posted2021/04/30 17:01
内田篤人やパク・チソンはアジア人として欧州の基準と向き合ってきた
<東アジア型=祖先崇拝>
共同体(農村)のなかで、伝統行事の習わしを知る年配者(先輩)が尊敬された。ゆえに「年齢による上下関係あり」。各選手が「自己犠牲により組織・公益(勝利)に尽くそうと考える」チーム。
<西洋型=神を崇拝>
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すべてを超越した存在である神と個々人が繋がっている。それゆえ、個人に尊厳がある。ゆえに「年齢による上下関係なし」。各個人が「自分の個性を発揮して組織・公益(勝利)に貢献する」チーム。
ちなみに後者は、神のくだりを除くといま日本で求められる「国際人像」とも重なる。
パク・チソンが語っていた欧州でのギャップ
なんで筆者にこんな"大口"が叩けるのかというと、それは「韓国の研究」もしてきたからだ。日本よりも極端な儒教文化圏。つまり上下関係が強い。欧州と比べると、まるでリトマス紙の酸とアルカリくらい反対の位置にある。現に02年にヒディンクが「上下関係撤廃令」を出すまでは、じつに50年近くも本大会で1勝も出来なかったのだ。
その韓国の文化圏から、2000年代以降にヨーロッパの舞台で最も多くの実績を有するアジア人プレーヤーが輩出された。
パク・チソンだ。
彼を長年取材してきて、忘れられない話がある。2003年秋、オランダのアイントホーフェンで話を聞いたときの内容だ。
「オランダに来た当初は練習からチームメイトにキツく言われすぎて本当に苦しかった」
聞くと、儒教文化が日本よりも色濃い韓国代表では「先輩のあとに続いて、多少ミスしてもいいから思いっきりやる」という考えでプレーしていたが、オランダでは違った。何歳だろうと、誰だろうと自立した「個」として勝利に貢献することを求められたのだ。やるべきことはやり、そのうえで自分の特長を発揮していきなさいと。
後に"犯人"はファンボメルだったと彼の自叙伝で読んだ。今だから言えるが、当時PSVの練習場でパクのお父さんにばったり会い「Jリーグに戻ることも考えている」と言っていた。儒教文化圏出身の(しかも日本でもプレー経験のある)彼にとって、最初の壁だったのだ。
また、筆者がドイツで生活していた時に知り合ったチャ・ドゥリ(当時フランクフルト所属。高校時代は韓国で過ごした)は、こんな愚痴をもらしていた。
「ここドイツで何が嫌かって、ユースチームとの練習試合ですよ。あいつらアピールしようと思って、思いっきり蹴っ飛ばしてくるから」