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柳田悠岐は“脱スパルタの少年野球育ち”… 「楽しむことが大前提。バスケの大会でも優勝してました」恩師が明かす秘話
text by
花田雪Kiyomu Hanada
photograph byNanae Suzuki
posted2021/05/05 11:02
少年時代から“のびのび野球”で育ったという柳田悠岐
初めての左打者の公式戦で、いきなり3打数3安打
2000年3月12日、信用金庫大会1回戦の対温品ヤングウルフ戦。この試合で柳田少年は3打数3安打を記録。実戦の舞台で、左打者・柳田悠岐はいきなり結果を残した。もし、この試合で結果が出なかったら……。
「もしかしたら、右打者に戻していたかもしれないですね」
佐藤さんはそう振り返る。野球に『たられば』はないが、この試合で安打が出なかったら、後のプロ野球選手・柳田悠岐は生まれていなかったかもしれない。
素直で、練習熱心――。そんな少年だったからこそ、左打者への転向もスムーズに受け入れることができた。
「僕はカーブなんて投げていない」
また、山本侃靖さんは「決めたら譲らない、頑固な一面もあった」という。とある試合で、こんなシーンがあった。普段は内野手がメインポジションの柳田少年だったが、この日はピッチャーとしてマウンドに上がった。投球を続けるうちに、主審が「カーブを投げている」と注意してきた。軟式少年野球では変化球の投球は禁止されており、それを受けての注意だったが、柳田少年は「僕はカーブなんて投げていない」とガンとして認めなかったという。ベンチに帰ってきても「投げていない」と主張を続ける柳田少年に対して、指導者は「わかった。やんなが嘘をつくとは思わない。お前が正しい」となだめたという。
このエピソードは、チームの卒業文集で柳田自身も語っている。よほど、納得できなかったのだろう。
野球だけでなく、スポーツそのものを楽しむ
西風五月が丘少年野球クラブは、山本さん、佐藤さんといった指導者自身が語るように、決して『スパルタ』を前面に打ち出した指導を行っていない。
「あくまでも、子どもたちに野球を好きになってもらう、楽しんでもらうことが大前提。細かな技術指導もあまりしません。やんなにも、左打者転向という『打診』はしましたが、それも本人次第。あとは本人がどれだけ頑張れるかだし、無理ならやめればいい。そういうスタンスは、今も変わりません」