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柳田悠岐は“脱スパルタの少年野球育ち”… 「楽しむことが大前提。バスケの大会でも優勝してました」恩師が明かす秘話

posted2021/05/05 11:02

 
柳田悠岐は“脱スパルタの少年野球育ち”… 「楽しむことが大前提。バスケの大会でも優勝してました」恩師が明かす秘話<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

少年時代から“のびのび野球”で育ったという柳田悠岐

text by

花田雪

花田雪Kiyomu Hanada

PROFILE

photograph by

Nanae Suzuki

プロ野球選手は一体、どんな少年時代を過ごしてきたのか――。『あのプロ野球選手の少年時代』(宝島社)は、侍JAPANに名を連ねる日本を代表する選手たちの少年時代を、小・中学校の指導者や本人から取材した記録集です。今回は書籍でインタビューにも答えているソフトバンク柳田悠岐、DeNA山崎康晃の2人の“知られざるエピソード”について転載し、ご紹介します(全2回/山崎康晃編はこちら)

 柳田悠岐は小学校時代、後の野球人生にも大きな影響を与えたであろうターニングポイントを経験している。

 それが「左打者への転向」だ。柳田が小学6年生で右打者から左打者に転向したことは知っている人も多いが、当時の経緯を、佐藤賢治さんはこう語る。

「彼が小学5年生を終え、新チームを始動させる時期のことです。いわゆる指導者会議のようなものがあり、その中で『チームにひとり、左打者が欲しい』という話になりました。やんな(柳田)の代の8人は全員が右打者。その時、真っ先に候補に挙がったのが彼でした」

 柳田少年に左打者転向を打診した理由はいくつかある。ひとつは、彼がチーム内でも屈指の野球センスを持っていたこと。器用になんでもこなすタイプだっただけに、左打者への転向もスムーズにいくのではというのが、当時の指導者の共通認識だった。

 もうひとつが、彼の足の速さ。一塁ベースにより近い左打席に立つことで、彼のスピードがより活きるのではないか。そんな狙いがあったという。

左打者転向に「わかりました、やってみます」

 小学5年生も終わりに差し掛かった時期での左打者転向に対して、柳田少年本人のリアクションはというと、意外にもあっさりと承諾したという。

「わかりました、やってみます。という感じで、特に嫌がる様子もありませんでした。もともと素直な子で練習も人一倍まじめに取り組むタイプでしたし、我々としても難しそうならすぐに右打者に戻せばいいと。無理やりにでも左で打たせようという気はありませんでしたから」

 こうして左打者の練習をはじめた柳田少年だったが、そのセンスの高さに指導者は驚くことになる。

「初めて左で打たせても、バットにボールが当たるんです。それも、当てにいくスイングではなく、しっかりと振り切ってボールを捉えられる。これはもう、センスとしか言えないですよね」

 本格的に転向してからわずか1~2カ月で、柳田少年は左打席での打撃をしっかりとものにした。とはいえ、練習では打てても試合で打てなければ意味がない。指導者はもちろん、柳田少年にも一抹の不安があったはずだ。

 その不安がかき消えたのが、左打者としての公式戦デビューとなった試合である。

【次ページ】 初めての左打者の公式戦で、いきなり3打数3安打

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