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バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発+真弓の85年成績は今見ても偉大… 佐藤輝・大山・サンズで再現なるか 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2021/04/17 06:01

バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発+真弓の85年成績は今見ても偉大… 佐藤輝・大山・サンズで再現なるか<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

バース・掛布・岡田…阪神ファンなら誰もが知っているバックスクリーン3連発。では彼らの経歴とその年の記録は?

バースは最初「バス」表記だった!?

 バースは1972年、ドラフト7巡目でツインズに入団する。77年にはMLBに昇格するもなかなか目が出ず、チームを転々とする。

 1983年に阪神に入団した時点でMLBではわずか9本塁打。阪神でもそれほど大きな期待はしていなかった。「(1976年に40本を打った)ブリーデンくらい打ってくれれば」とファンは思っていたそうだ。

 ちなみに来日を報じたスポーツ紙では「ランディ・バス」だった。球団がのちに登録名を「バース」にした。1年目は35本塁打、打率.288、2年目は27本塁打、打率.326、「迫力はないけど、まあまあやな」とも阪神ファンは言っていた。

 迎えた3年目の1985年も出だしが悪く、「バックスクリーン3連発」の1発は、バースのシーズン初本塁打。その時点で打率はまだ1割台だった。しかしここから爆発的に打ち出してこの年、セ・リーグ初の「外国人選手三冠王」。54本塁打を打って王貞治のNPB記録(当時)に「あと1本」まで迫ったのだ。

小さな大打者・掛布は85年を最後に記録が……

 掛布雅之は1974年習志野高からドラフト6位で阪神に入団。阪神首脳陣の前で入団テストを受けてのドラフト指名であり、全くの無名だった。しかし開幕一軍をつかみ3年目には3割をマーク。豪快な打撃に加え、一塁に糸を引くような送球をする華麗な三塁守備でもファンを魅了した。本塁打王3回、打点王1回、王貞治引退後のセ・リーグで「最強打者」の座を広島の山本浩二と争った。

 しかし小さな体で活躍し続けた勤続疲労もあり、掛布はこの1985年を最後に成績が急落し、3年後の1988年オフに引退している。

「岡田を使え」の声に監督が辞任したことも

 岡田彰布は大阪、北陽高時代に甲子園に出場。早稲田大では2学年上の法政大、江川卓に度々痛打を浴びせるなど屈指の強打者として知られ、1979年のドラフトでは西武、ヤクルト、南海、阪急、近鉄、阪神が競合の末、地元・阪神が指名権を獲得。鳴り物入りで阪神に入団。1年目には「岡田を使え」と言うファンや球団の意向に反発して、ブレイザー監督が辞任する騒ぎを起こした。この年新人王を獲得する。

 1985年は6シーズン目。1983年に右足を負傷して戦線離脱。翌1984年も故障の影響でフル出場できなかったが、久々に万全のコンディションで開幕を迎えていた。

「まあまあやな」の評価が定まりつつあった外国人打者と、無名から這い上がった看板スラッガー、そしてエリート内野手。キャラが全く違う3人の打者は、この年、記録的な打棒を見せた。

【次ページ】 3人の合計本塁打歴代トップ10を並べてみると

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